渋谷コントセンター

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2018年2月23日(金)~2月24日(土)

テアトロコント vol.25 渋谷コントセンター月例公演(2018.2)

主催公演

公演詳細

底力
稽古の延長線上に本番があることを承知してほしい、すなわち最良の稽古と本番を言い換えることもできる。演劇、コント、共に舞台芸術であり、人が演じるということには完成ということは無く、その一瞬の現存する時間を観客と共に生きることで、ある体験が生まれるのだと信じてる。
芸歴は20年を迎える犬の心、持ちネタというものがあることの強みから芸人のあるべき姿を見た。相手を批評し笑いを生む所作の切れ味が良く、観客より一足早い突っ込みで退屈にさせない。このタイミングのコントロールにベテランを感じさせる。積み重ねる事での笑いの建築が2人を通してはっきりと見えた。
わっしょいハウスの演劇の伝播の深度にはハッとさせられた、会話から始まる芝居が数十分続き、突然1人の俳優が観客に語り出す。その語りが舞台と観客の関係をあぶり出し、コントから演劇への手引きとなって劇空間に変容させることに成功していた。
観客は舞台で起こってる事、それがフィクションだとしても無関係ではない。虚構は真実に転換され体験として残るものであると、舞台上から観客への呼びかけで示した。
劇の構造は面白く、人は五感の中で視覚以外の感覚が退化していると語る、舞台上で演じてる俳優が何者なのかというのは観客には分からない。視覚で捉えた限定された情報や、自身の経験から算出された答えで相手を測ってしまうという、無意識化の差別、普段の認知領域の脆弱さを暴き出している。そして観客という限られた情報でしか起こっていることを伺い知ることができない立場を劇と重ね、観客に問題提起を仕掛けた手腕に舌を巻く。
そんな計算とは反対に、無謀ともとれる〈観客からのリクエストに応える〉というネタの出し方を飄々とするラバーガールはソロライブを控えてることもあってか自信があり、鉄板ネタとも言える〈床屋〉は笑わずにはいられない。この文章を読んでる方はラバーガール〈床屋〉をぜひ検索、そして視聴してほしい。
そして今回のテアトロコント満員御礼の原因のひとつ、城山羊の会。私自身公演があれば観に行く劇団のひとつで、何気ない会話の中からだんだんと浮き上がるそれぞれの状況が幾重にも重なり合って地獄絵図となる様には毎回唖然とする。
義父から臓器提供を受けた婿がお礼にと衣類用洗剤のアタックを差し出し、自分の臓器とアタックが等価であることに戸惑う義父や、50代を迎え婚期を逃したあげく限りなく人間に近いチンパンジーと付き合い父親に結婚報告までする娘、そしてその一家に対して発情し男女の見境もなく交尾を仕掛ける限りなく人間に近いチンパンジー。
家族というコミュニティの中に第三者がやってくるという話はよくある、しかし城山羊の会ではチンパンジーがやってくる。物語の面白さに目がいくけれど、内容もさることながら俳優たちの底の知れない得体の知れなさは今回のテアトロコントでは別格だった。(島十郎)


全セクションが高次元で絡み合う悲哀の笑いの「城山羊の会」の安定感がヤバかった。
【1】犬の心<コント師>二人組/★★★★☆/コンビニ弁当の箸が無く素手で食べてしまう同僚との攻防戦『弁当』。手品で消した一万円を返さない友人との攻防戦『手品』。交通事故が骨折で済んだのはお前が時を止める能力者だからと迫る同僚との攻防戦『世界よ止まれ』計三作品。食事、金、時間。大事なものの価値観がずれた二人というワンアイデアだけで、余計なものを削ぎ落としてあり、どっしりとした建築物のような安定感で見ている方がリラックスできる、貴重なコントだった。
【2】わっしょいハウス<演劇人>出演者:三人/★★☆☆☆/会社同士の打ち合わせを描く『木星からの物体X』一作品。肩書から冗長な大企業系男担当者が、下請け女性の責任担当者を「女性だから○○」と珈琲、書類作り、話の進め方、あらゆる話題でピントのずれた冗長なやりとりをする中、女性担当の補佐役の男が、唐突に観客に語り出し、自分は「別次元の生命体」であると告白しはじめる…。やってることは極めて不可思議なのに自然な会話に見えてしまうのは巧妙な技術だが、女性が普段感じるストレスを共に体感しましょうということなのか、最後まで作品の意図は掴みきれなかった。本公演の予告編的意味合いもあるのだろうか。
【3】ラバーガール<コント師>二人組/★★★★☆/「はいこんばんは〜」とのんびり登場し営業っぽいトークから始まり、新規客が店員を混乱させる『美容室』を披露。再びトークで、観客にやってほしいコントをリクエストし、バカな子供に嘘の勉強を教える『家庭教師』、子供服を買いに来た客が店員を混乱させる『子供服売り場』、携帯機種変をに来た客が音楽プレイヤーを買おうとする『携帯電話』と即座にリクエスト通り三本披露。最後に居酒屋店長がバイト面接の男を混乱させる『居酒屋面接』計五作品で終了した。全作品のコント構造が同じなのにも関わらず、会話のずらし方、言葉の間違え方だけで飽きずにさらっと成立させてしまうスタイルは興味深かった。全体的に営業っぽいムードを感じないといえば嘘になるが、観客からの要望に即座に応え、MDという単語が会話に登場した瞬間、思わず観客と演者で時代遅れの感覚に共に笑う瞬間があったりするのも一つのライブ感だと感じた。
【4】城山羊の会<演劇人>出演者:四人/★★★★☆/腎臓を分けてもらった義兄の家にお礼挨拶にきた男とその弟。義兄の嫁の手料理を、潔癖で人の手料理が食べられないと断るが、最近、美人の手料理は食べられるようにとこぼしてから険悪なムードになる『つばめ』。飲食店一家に、50歳になる長女が結婚報告。本気で連れてきた相手はオラウータン。家族が大反対する中、発情期のオラウータンは誰彼構わず交尾し襲いかかり地獄絵図になる『婚約者』計二作品。皆一生懸命に生きているだけなのに不幸が訪れてしまう二作品を、巧妙かつ自然な仕掛けと高い演技力で、悲哀の笑いとして積み上がっていく様は、いい意味で独壇場と言うしかなく、口を開けて傍観することしかできなかった。
【総評】
シンプルな強度の「犬の心」が一番好みだが、全セクションが高次元で絡み合う悲哀の笑いを描く「城山羊の会」は三ヶ月に一度くらいで見たい。(モリタユウイチ)


ラブレターズの根底のラブ
ラブレターズは四本。どのコントでも一人一役を演じ、それ以外の登場人物は舞台上に出て来ない。珠玉の四本の中で、特に『ペット葬儀』と『夫婦』が素晴らしかった。
『ペット葬儀』では長年連れ添い、家族同然の存在だった愛犬の葬儀を描く。飼い主(塚本直毅)の挨拶が終わり、司会者(溜口佑太朗)にバトンタッチする。彼は突然机の下に隠れ、イタコのように犬の思いを憑依させる。申し訳程度に声を変えた(ただ高くなっただけ)司会者の「家族のみんなありがとう」的な言葉に、飼い主は戸惑う。演出は加速。軽薄なダンスミュージックが始まり、司会者が踊り出す。何枚もの遺影を紙芝居的に高速で抜き取りながら、首から下は喪服のまま葬儀には不相応なBPMで踊り続ける。
溜口のキレキレのダンスが素晴らしい。個人的に「ハイテンションで踊る溜口」のファンであり、キングオブコントの野球拳ネタを思い出して嬉しかった。
『夫婦』の息子は、引きこもりである。新聞を読む夫(溜口)と、家事をこなす妻(塚本)。息子の状態を楽観視する夫に、妻は苛立つ。洗濯物を取り込んでいるとき、息子の服からどんぐりが落ちる。どんぐり?あいつもしかして、外出してどんぐりを拾っているのか…?季節的に新しいどんぐりかどうか、色味をネットで調べる。更にはどんぐりと息子の名前でAND検索をする。ヒット。息子はどんぐり知識を売りにするユーチューバーだった。その他の動画も発見し、ユーチューバーとしての彼の活躍に感動する二人であった。
ユーチューバーという存在が、お笑い芸人のネタの中でポジティブに扱われるのは珍しい気がする。「ユーチューバーあるある」的に揶揄の対象にしたりせず、息子の活動を素直に応援する。そこにラブレターズの知性と優しさが垣間見える、とは考えすぎだろうか。
二本とも、優しい。誰かを傷つける笑いが低俗で、そうでないものが崇高と言う気は無いが、この二本が優しいのは厳然たる事実である。しかも爆笑できる。そこが凄い。
常識からはみ出したものを笑う。笑いの基本の一つだ。ただ、この二本の「ボケ」役のはみ出し方は「優しすぎる」や「突飛すぎる」であって、何かが劣っていたりするのではない。葬儀の司会者は、飼い主一家の悲しみを癒やし、新しい明日を迎えて欲しかった。引きこもりの息子は、人間関係は不得意でも、どんぐりが好きだった。ただ情の発露の仕方が少しエクストリームだっただけだ。狂気をはらむが、根底には人間らしい可愛気がある。
「落語とは人間の業の肯定である」なら、ラブレターズのコントもそうかもしれない。喪服が裂けそうなくらいに躍動する溜口の姿は、その体現に思える。(森信太郎)

大人のリアクション教室~ペーソスが溢れ出て止まらない喜劇役者に学ぶ~
大人なら誰しも経験があるはずです。歓談中、空気が一瞬にして凍りつく、あの、おぞましい経験が。そんな時、どう振る舞えばよいのか、ご存じでしょうか?
では、例を挙げて説明しましょう。自分の妹と結婚した男性、すなわち、義理の弟、しかし、現在は訳あって妹と別居中の男性が、腎臓を提供してくれたお礼を言いに家を訪ねてきた場合。まず、何はともあれ、無事を喜び、彼を温かく迎えましょう。そして、深々と頭を下げられたら、すかさず、こう返すのもよいでしょう。
「また必要になったら、その時は言ってくださいね。でも、二個目はあげられないか、ハハハ」これで、場が一気に和みます。その後、お礼の品を渡されるという一コマがあるはずです。問題はこの時。もしも、その品物が洗剤一箱だったとしたら、一体、どんな表情をすればよいのでしょうか?
ここで一つ、補足説明をすると、義弟はお礼の品を差し出す前にこう言っています。「臓器を頂いたお礼に何を贈ればいいのか、ホント分からなくて」そう、分からなくて悩んだ末の選択が、普段の洗濯で絶対に使うであろう洗剤だったということです。それを加味したうえで考えてください。どんな表情をすべきなのか?
この後「折角だから食事でも」と声を掛けるのは自然の流れと言えますが、その時、意外な告白をされる可能性があります。「実は、人が作った料理が食べられない」とか。よくよく聞くと、実母の料理と別居中の妻の料理はOKで入院中の病院食も大丈夫だったとのこと。理由を訊くと「最近、キレイな人が作る料理は食べられるようになった」と。言われた方は「ん?」と思うので、念のために尋ねましょう。「キレイというのは手とか?」すると、間髪を入れず「いや、顔です」問題はこの時。一体、どんなリアクションをしたらよいのでしょうか?
一つ断っておくと、義弟には全く悪気がないということ。むしろ「少しずつ、人の作った料理が食べられるようになったので安心してください」と言わんばかりの表情で言葉を発しているのです。その点を考慮したうえで、しかも、隣には料理を作る妻がいるということを踏まえて考えてください。どんなリアクションをすべきなのか?決して場を乱してはいけません。事を荒立てないのが大人というものなので。対処法が分からないという方は、この人の演技に学ぶとよいでしょう。自然な振る舞いをさせたら日本一の喜劇役者、城山羊の会所属、岩谷健司さん。細やかな視線、何気ない一挙手一投足。それを完璧にマスターすれば、大人としての作法は万全。どんな場面に遭遇しても恥をかくことはありません。それどころか、全身から得も言われぬペーソスを醸し出し、観る者の同情を誘うという高等技術を手に入れることも可能なのです。(市川幸宏)

衝撃を感じる仕組みの考察~城山羊の会『婚約者』から~
『テアトロコントvol.25』は城山羊の会に脳天をくらわされる、久々に衝撃的な回であった。これまで観た『テアトロコント』の個人的な衝撃回で言うと、vol.1のナカゴーによる「とんかつ和幸の店長が習わしとしてバイトの右腕を切り落とす」演目、vol.2の東葛スポーツ「声 & ケーシー高峰 2015年ver.」、vol.4のチョップリン「ひぃじいちゃん」が挙げられる。
自分の中で衝撃が起こる仕組みを考えた。衝撃が起こる程の圧倒的なものを見せられるのは当然の事であるが、それを圧倒的と捉える見方にこちらがなっている状態であるかが大切であると思う。即ち「フリ」だ。ここでいうフリはお笑いで言う所の「分かりやすくそのボケに持って行くための手段」ではない。その逆で、「用意された道筋の真反対、または最早道筋など関係の無い所へ行く」ための手段を指す。そしてそれは自身の演目内で作る事も、『テアトロコント』という会全体を通して作る事も可能である。
vol.1のナカゴーは自分の作品の前半15分をフリとして作り(ただただ女子2人が待ち合わせしている場面。ノー笑い。)、後半15分で右腕をバッタバッタ切り落として観客に爆笑という形で衝撃を与えた。 
今回の城山羊の会は『テアトロコント』という会、そして自身の「つばめ」という演目をもフリとして「婚約者」で衝撃を与えたのでないかと思う。
まずは『テアトロコント』がフリという点。観客は笑いに来ている。お笑い芸人は勿論の事、演劇人も笑わせにこの会に臨んでいる。そういう場に来ているので、演目を観る度に「これはこういうシステムで笑うようになっている」と観る側は無意識の内に思うだろうし、作り手も意識的に制作していると思う。
特に3番手のラバーガールが自分達の過去ネタを観客のリクエストに応えて披露する(芸人が『テアトロコント』に出る際のこのような工夫は各芸人の色が出て良い)というのは、大体テレビや賞レースで出すようなコントがメインになって来るので「淡々としてるように見えて意外とボケ数が多いんだな」や「一旦怖い風に見せてそれをスカすのがオチのパターンとして多いんだな」とそれを意識するしないは置いといて、お笑いを観る状態にはなっている。
そこにダメ押しで城山羊の会1本目がラバーガールやザ・ギースと交流のある、ふじきみつ彦の作った「つばめ」である。ボケとなる出来事が起こり、慌てふためき、解決して、また別のボケとなる出来事が…と展開やワードセンスが芸人のそれであるので見方が完全にお笑いとなった。プラスで配役も大ボケ、小ボケ、振り回されツッコミ、大ツッコミが完全に入れ替わり、個人的には裏切りを行う気が満々であったと察する。
その状態で「婚約者」という演目。ここで行われたのは圧倒的な倫理の崩壊であった。さっきまでツッコミとして立ち回っていた岩谷健司がオラウータン役で舞台上でズボンを下ろし、俳優を犯す。上手に捌けて女性を犯す音声が流れる。舞台上は地獄絵図。お尻を押さえた俳優が、犯された女の子を指して、「処女だったんだよ!」と言う。茫然とする別の俳優が「あの娘は処女じゃないよ」とぼそっと言う。「何でそんな事知ってるんだよ〜」と訴えながら幕が降りる。自分がとんでもない事をされながら、そんな事を気にするのに対して変なリアルを抱きつつ、何かヤバいものを観てしまった事に唖然としていたため、アフタートークが一切入ってこなかった。
本当にギリギリの所で、男性器の垂れてない事から前貼りをしている事を読み取って理性を保てたが、もうオラウータンを見る事もトラウマになってしまう。お笑いライブとしての『テアトロコント』を一つ高めるとしたら、そのお笑いをブチ壊す圧倒的な何かを観せる技量、そして土壌だと考える。(菅野明男)

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