2018年3月30日(金)~3月31日(土)
テアトロコント vol.26 渋谷コントセンター月例公演(2018.3)
主催公演
公演詳細
ミズタニー、ポプテピピック、千原兄弟を貫く「反復と転調」
ミズタニーは『こんにちはオリバー』『星になれた』の二本。二本なのだが、二本とも言い切れない。
『こんにちはオリバー』は、明らかに様子がおかしく、帽子をかぶり、シャツをインし、頭をゆらゆらと揺らし続ける髭面の男が立っているところから始まる。そこにリクルートスーツに身を包んだ、就活生らしい女が通りかかる。男は自分のポケットから、女に見えないように地面に落とす。女がハンカチを落としたと言い張る男。私のではないと反論する女。そこに、就活生より十から二十くらい年上らしき別の女が通りかかり、事態を複雑にする。
『星になれた』は、明らかに様子がおかしく、帽子をかぶり、シャツをインし、頭をゆらゆらと揺らし続ける髭面の男が立っているところから始まる。そこにリクルートスーツに身を包んだ、就活生らしい女が通りかかる。男は自分のポケットから、女に見えないように地面に落とす。女がハンカチを落としたと言い張る男。私のではないと反論する女。そこに、就活生より十から二十くらい年上らしき別の女が通りかかり、事態を複雑にする。
誤記ではない。この二本は途中まで全く同じように展開するが、「年上の女」の登場以降、事態の複雑さの方向が大きく異なる。そこまでは脚本・演出・演技の全てが、髭面男の首の揺れ方、ハンカチを落とすフォームすら完璧に同じなのだ。ジャムセッションのように演技をぶつけ合い、毎回異なる内容を見せる演劇がある。一方でミズタニーは、打ち込み音楽のように正確に演技を展開し、毎回同じ内容を見せる。もはや「偏執」の域。ただこの偏執さが今回の二本で爆発した。二本の違いを示すには、同じ部分は同じでなければならない。首の揺れ方にブレがあれば、それは笑いを損なう。
この「あれ、もう一回同じことやるの?」の最新バージョンはアニメ『ポプテピピック』だろう。この作品では放送時間の30分中、(基本的には)声優だけを変えた同じ15分が二回流される。これによって作品の「クソ」性(本作は自ら「クソ」を標榜している)を高めつつ、視聴者は声優の個性の違い、つまり声優そのものの芸を楽しめる。
ではミズタニーの繰り返しは、何の「違い」を生んでいるのか。二作の分水嶺を作るのは「年上の女」こと佐伯ちさ子である。端的に言えば、一作目の彼女はツッコミであり、二作目はボケである。ボケツッコミの反転。つまり、「正義」「倫理」の体現者の交代。信じられないくらいアクロバティックで実験的だ。この展開を観て私が思い出したのは、『ポプテピピック』ではなく千原兄弟の『日本の夜明け』だ。
『日本の夜明け』は、2003年の秋に行われたコントライブ『プロペラを止めた、僕の声を聞くために。』の中の一作だ(DVDやAmazonプライムで視聴可能。下記少々ネタバレを含みます)。このコントでは千原ジュニアが教師、千原せいじと渡辺鐘(現・桂三度、元・世界のナベアツ)があまり賢くない生徒を演じる。もちろんジュニアがツッコミ、他二人がボケだ。生徒二人がピントのずれた質問をし、それを教師がツッコむ典型的な構造。「あれ、千原兄弟がこんなベタなコントを?」と観客が訝りだしたあたりで、急な暗転がり、映像が始まる。その映像が巧みな仕掛けとなり(ぜひご自身で確認してほしい)、明転後同じコントを繰り返すが、ボケとツッコミが逆転している。おそらく観客より同業者に称賛を浴びただろうその仕掛けは、まさに『日本の夜明け』と呼ぶに相応しいものだった。
以上小難しいことを書いてきたが、ミズタニーを楽しむのに妙な知識は不要だ。そこがすごい。顔が面白い、動きが面白い、言い方が面白いといったプリミティブな笑いを、血が滲むほどストイックに追求している。『日本の夜明け』並の技術や理論がありながら、表面上はバカにしか見えない。その「知性を隠す」姿勢に圧倒的な知性を感じるのは、私だけではないはずだ。(森信太郎)
Aマッソが問う“客としての心得”
人から話を聞いて初めて知ることってありますよね。ニュースが報じていないネタやとある業界の裏話など。特に誰にも言えないココだけの話的なものだと、つい前のめりで聞いちゃうので、酒がどんどん進みます。
ところで、皆さん、知ってましたか?今、神戸の物価がめちゃめちゃ安くなってるんですって。だから、Aマッソの二人も大阪に帰る時、新幹線で一旦、新神戸まで行って、神戸で買い物をしてから帰るそうです。で、買い物袋をぶら下げて在来線に乗るそうですが、そのシートがあり得ないほどフカフカなんですって。どのぐらいフカフカかと言うと、乗客が勢いよく隣に座ると、自分がピョ~ンって前に飛び出しちゃうぐらい。一度、体験してみたいですね。でも、沿線の住民は心得たもので、飛び出さないよう、神戸で買った荷物を重しとして使っているそうです。まさに生活の知恵ですね。そんなこんなで買い物客がみんな神戸に行ってしまい、今、新大阪がガラガラだそうです。驚きました。駅前がシャッター通りと化しているとか。どれぐらい閑散としているかと言うと、トイレに置き忘れた携帯電話が一週間後まだ、その場所にあったというぐらい。新大阪がそんなに状態になってるなんて、ホンマ、淋しいでんなぁ。
実は彼女たち、最近、ライブの出演数が減っているとか。そんな中、衝撃の事実を知ったそうです。芸歴が同じぐらいの東京の芸人よりギャラが安い!何と東京のライブシーンでは、関西出身の芸人への差別があるんだとか!これは由々しき事態ですね。何とか改善してもらいたいものです。
この日、Aマッソはフリートークの形式でこうした意外なエピソードを披露、客をぐいぐい惹きつけていた訳ですが…。既にお気づきの方もいらっしゃるとは思いますが、これらは全て作り話。全部、嘘です。そう「トークライブ」という名のコントなのです。してやられましたね。
落語のマクラでも漫談でも「先日こんなことがありまして…」と喋り出すパターンはよくありますが、一体、どれぐらいの人がホントにあった話だと思って聞いているのでしょう?もしかしたら殆どの人が信じているのでは?実はこれこそが芸なのです。人は、演技ではない素の喋りを信じてしまうという傾向があります。そこを突いた芸人ならではのテクニックです。テレビでもそうです。バラエティ番組のエピソードトークは1のものを100にしている、つまり、殆どが作り話というケースが殆どなのです。でも、目くじらを立ててはいけません。私たちは芸を楽しんでいるのですから。報道を捻じ曲げるフェイクニュースは言語道断。でも、芸人が披露するフェイクエピソードは大いに結構。たとえ、それが嘘だと分かっても、分かったうえで楽しむ。それが、大人の客というものなのです。(市川幸宏)
ミズタニーは批評モニター殺し
1組目はロビンソンズ。『父と娘』ではお笑いライブシーン、またはロビンソンズ自身をメタ視して話を進める。『残業』はドラマチックな曲をBGMにドラマチックな演技で0点な会話をする。『最終回』は様々な、そして当て付けと思われるコンプライアンスで番組が最終回になっていく様を描く。性格の悪さが根底に流れるコント群。「性格が悪くないとお笑いはやっていない」とはオードリー若林やマキタスポーツがそれぞれラジオで語っている所だ。性格の悪い事がお笑いの基本形。テアトロコントの一番手に相応しい。
2組目はピンク・リバティ。『不倫旅行』という演目で30分。旅館側のテンションがあまり合わなかったという印象。客側が静かに不倫旅行を楽しもうとする中で、旅館側がもてなす事よりもおばさん同士の会話で盛り上がってしまう。そこにリアリティを持つ事が出来ずに続いてしまった。客側にリアリティがあり、旅館側も最初はそのリアリティに則った振る舞いをするが、段々と有り得ない様(この演目においてのボケ部分)のテンションになっていくに連れて入り込めなくなってしまった。テアトロコントを見る度に思うのは、演劇側がお笑い側に寄せていく必要は無くて、むしろお笑い的なお約束、フォーマットに則らない形で見せていく演劇がハマっているように思う。そしてそれが今回においては3組目のミズタニーであった。
ミズタニーは『こんにちはオリバー』と『星になれた』の2作。どちらもポプテピピックよろしく、途中までほぼ同じ展開で続いていく仕様で、タイトルはそれぞれのオチを示している。1本目と2本目で本当に途中まで全く同じ動きをしているので感動する。そしてその感動をぶっ飛ばすような話の展開。1人の立ち位置が変わるだけでここまで話が変わるのか、というよりそもそもこの話へ意味を付ける事自体がナンセンスか。自作自演で落としたハンカチが実は小さいバッグである事、人を締める時に「ワインレッドの心」を歌う事、最早フェミニストなのか良く分からない事、人に似たチンパンジーという事が、図らずも前回のテアトロコントの城山羊の会と重なっている事。何を話した所で、何を説明した所で、何の意味があるのか。ウォークマンのCMみたいにチンパンジーがイヤホンしている事と、急に演出家が出てきて演者と五芒星を作る事をオチとした話に何の説明がいると言うのか。最高でした。また見たいです。
そんな中で4組目のゾフィー。多種多様なコントを5本。『君は誰の為に打つか』と『逃れられぬ食い逃げ』は状況の掛け合わせコント(ホームラン打ったら手術受ける×予約システム、食い逃げ×食中毒)、『あの娘はバイクで』と『自殺、止まる』はフレーズや動作をシステム化させたコント、『先輩とずっと』はロビンソンズでもあったBGMに乗せて0点な会話が続くもの。良質で、見やすくて、重箱の隅を突く性格の悪いコント群を堪能。そして前日のスーパーニュウニュウ、Aマッソに比べて遥かに泥臭い面子であった。(菅野明男)
想像力の可能性は無限
ワイン好きな人のワインに対しての講釈の後に飲むワインには美味しさがあってもつまらないと感じたのは〈飲む〉のではなく〈飲まされている〉からだ。笑いも同じく語り方に気を付けなければならない。〈笑わされる観客〉から〈笑う観客〉への手引きとして毎回書きたい。
スーパーニュウニュウのコントは建築でいう基礎があるので、ふるやいなやの美を追求し今以上にコントに用いると、美術も伴ったビジュアルでも惹きつけるネタに更に仕上がり特色が浮かび上がっていくように思う。テアトロコントに参加したことで、演劇へもっと接近していくと、笑いの柵を飛び越え美術の面も相まって異彩を放つ予感があり期待できる。その異才を引き受けるのが大将の役目というと、荷が重いか。コンビで支え合い頂上目指してほしい。
ピンク・リバティは表現ではなく、実現というかたちでエロを観客に伝えているなら、映像に着手することがお互いに代謝が良いんじゃないだろうか。演劇でリアルを扱うことは、端的に言うと、もったいない。無限であるものを有限として表象することは、舞台では行う必要があるのか。抽象的な言い回しで分かりにくいかもしれないけれど、今回の『不倫旅行』で言えばイチャイチャすることを本当にイチャイチャすることで観せるのはもったいないんじゃないかということで、そこの点をミズタニ―が回答してるように思えたので次の話に進みたい。
ミズタニ―に無限を感じたのは、フェミニストとオリバーくんの言い争いのシーンで行われていた会話の中にある。オリバーくんの台詞は「むぐむぐむぐむぐむぐむぐ」しか言ってなく、そこにフェミニストは「むぐむぐむぐむぐむぐむぐ・・・言ってんじゃありません!」と言う。こう字面で見るだけでは伝わりづらい、けれど<言い争っている>という状況を観客が了解さえすれば台詞がなんであろうと想像力を用いて補えるので問題が無いというところに演劇の無限、局所的に言えば〈観客の想像力の無限〉がある。
ピンク・リバティは『不倫旅行』というタイトルと、訳がありそうなカップルが旅館に宿泊に来ているという大きな担保があるにも関わらず、演劇での飛躍が無かったところがもったいなく、どんどんと物語のゴールに収束してしまったことが作品を一定のレベルに収まってしまったように思えた。
ミズタニ―の演目では、最後にみんなで六芒星のマークを披露していた。けれど破綻を感じさせなかったのは、冒頭で「ハンカチを落としましたよ」の台詞で、この話の担保を立て、飛躍した表現であっても、腑に落とすことを可能にしている。
特に身体から出るノイズをポーズとして俳優の動きに取り入れているところは、本能的に受け取れた。ミズタニ―、まだ産まれる予定の無い我が子に観せたい。
トリのAマッソはこの場を借りて腕を磨いていて、この先どうしていくのか期待よりも不安がよぎる『トークライブ』だった。デタラメという芸は知識がないと構築できないように見えて、観客もある程度演者と知識の領域を共有していないと受けとれない、そのある程度を見切る目を舞台で更に磨いてほしい。(島十郎)
スーパーニュウニュウだけが素直な作品でほっこりした。
【1】スーパーニュウニュウ<コント師>二人組/★★★★☆/楽器の無いごろん太に、ワクワクちゃんが紙コップや割り箸を材料に、奇妙な楽器を作ってあげる『つくってあそぼう』。ランプをこすった女性の前に、ランプの魔人が登場し願いを叶えろと言うが、女性はランプを磨くのに夢中で話しを聞かない『魔法のランプ』。彼女の家に入るとハムスターやカバが彼氏の股間を噛みつく『彼女のペット』計三作品。浮遊感のある女性のボケに翻弄される男性があたふたツッコミを入れる、いわゆる南海キャンディーズ的なコンビ構造だが、転換中に挟むフリップ芸的な映像も含め、NHK教育番組的世界観、デザイン性が、見やすく自然と惹きつけられる。情報過多で溺れかける時代に、肩の力を抜いて楽しませてくれる安心感があった。
【2】ピンク・リバティ<演劇人>出演者:五人/★★★☆☆/不倫旅行に来たカップルに、仲居さんが写真撮影を薦め彼氏のiPhoneを預かるが、操作方法がわからず、女将と腹違いの息子を呼び撮影後、本妻の画像をみつけてしまう。俄然女将達は盛り上がり、不倫客を冷やかす。傷ついたカップルは慰め合うが、彼女が化粧直しをしてる間に、かかってきた妻からの電話に幸せそうにお土産を約束する『不倫旅行』一作品。旅館の退屈な日常を吹き飛ばすかのように、不倫カップル叩きに狂乱する女将達の姿は、昨今の不倫叩き狂乱者へのメタファーでもあり、真面目に見ていると胸糞悪くなってしまうが、不倫カップルも、傷つき方や励まし方がずれているおかげで、どっちもどっちだなと、客席からの嫌悪感を和ませ逆説的な救いとさせていたのは見事だった。
【3】ミズタニ−<演劇人>/出演者:五人/★★★☆☆/
「これ、落ちましたけど!」街角に佇む不審な男が、見知らぬ女性に執拗にハンカチを落としたと話しかけ、通りがかったフェミニスト女性が気付き、男と言い争っていると、背広姿のイケメンが登場。男にプロレス技をかけると、施設管理者が現れ、この子は天才チンパンジーだと説明する『こんにちはオリバー』。「これ、落ちましたけど!」再び街角に佇む不審な男が、見知らぬ女性に執拗にハンカチ…に似た小さなカバンを落としたと話しかけ、通りがかったフェミニスト女性が気付き、男と言い争っていると、フェミニスト女性の性格が怪物化、背広姿のイケメンにも難癖をつけ、男性二人は怯えていると、フェミニスト女性の父登場。諸悪の根源の男性を探すが応答はなく、宇宙に交信を求め、五芒星が光り輝く『星になれた』二作品。二作品と挨拶文で前振りしておいて、ループ世界線ものだったのは良い。アクの強い節回し、荒唐無稽の展開など、抵抗がなくなったとまでは言えないが、少しずつミズタニ−の世界観に慣れてきている自分がいるのも事実だ。
【4】Aマッソ<コント師>二人組/★★★☆☆/オープニング映像。地球担当の神様の元に歴史変更命令が届く。”オリックス8年連続優勝”と神様が変更内容を決定した後、明かりがつきAマッソが登場、トークライブが始まる。作家ゆもとの奇人話→携帯ショップで年収欄記入しオプション全部外された話→新神戸の物価安→神戸線の座席取り合戦→新大阪シャッター街、の話しの後「オリックス」という神の声がかかり、Aマッソは互いの立ち位置を変更する。関西人ライブ枠現象→ギャラ話の後「オリックス」と神の声が鳴り、立ち位置変更。直後に神の声が二度鳴り、立ち位置変わらず。BIG3芸人のウェーブ岡田が怖い→面白い方言ネタ、の後、オリックスの曲が高鳴り暗転する『トークライブ』一作品。「トークライブしている最中にも歴史改変が起こり続けるデタラメな世界」という設定なんだと思われるが、関西・芸人ネタにある程度詳しくないと、かなりわかりやすい嘘でやっと気付いて笑えるまで混乱する事になり、どうしても一体感やドライブ感は薄くなるように感じたが、これもAマッソの作り出した新開発の魔球の一つと思えば、ありといえばありなのかもしれない。
【総評】今回は変化球多めのコントの中、スーパーニュウニュウだけが素直な作品でほっこりした。(モリタユウイチ)