渋谷コントセンター

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2022年2月25日(金)~2月26日(土)

テアトロコント vol.55 渋谷コントセンター月例公演(2022.2)

主催公演

公演詳細

やめられない、とまらない。
「それ、やめた方がいいよ」。そう言われたって、どうしてもやめることができない。誰しも、そんな経験をしたことがあるのではないでしょうか?では何故、やめないのか?考えられる一つ目の理由は、悪いと思っていないから。ハナからやめる気がないというパターン。
タバコを吸うタイさんを佐伯元輝さんが咎める、やさしいズのコント1本目。タバコには害があるという世間一般の説得理由をタイさんは都市伝説とあしらいます。まことしやかな古代遺跡の例を持ち出し、タバコは人類が何千年も前から吸ってきたものだから大丈夫だと。電子タバコの方がヤバイ。ここ5~6年の歴史だからと。そう言われると、何となくそんな気がしてくるので不思議なものです。何だか煙に巻かれているような気もしますが。タバコだけに。
やめた方がいいと言われた時は、相手が知りそうもない知識を交え、もしかしたらそうかもしれないと思える説得力を武器に応じれば、相手を黙らせることができるのかもしれません。
別のパターンもあります。自分でも良くないと思っている。本当はやめたいんだけど、やめられない。そんな時はどうすればよいのか?
ギャンブル狂の父親・タイさんと佐伯さん演じる息子との会話が絶妙な、やさしいズの2本目。競馬に負け、自棄になっている父親に子供が健気に語りかけます。ごはん食べられなくなっちゃう。お仕事やめないでと。それに対し父親は、ギャンブルは仕事じゃねえよと吐き捨てます。ギャンブルで食わせてやってるんだからやめられるわけないだろと本気で思っている人は現実世界にままいますが、ここではそうではありません。やめたら困るのは子供の方。我が子にそう思わせてしまった父親は反省の念が込み上げ、胸が痛みます。ギャンブルは教育に良くないと心底、実感したのでしょう。タイさんのやさぐれ感満載の風貌もあり、悲哀交じりの笑いが会場を包みます。やめるかやめないかを玩具の犬にレースさせ、決着させるというくだりは、いかにもコント的で、笑いの量はこの日、貫禄の1着。
相手に何かをやめさせたい時には、敢えてそれを肯定し、推し進める。そうすることで、言われた方は自責の念に駆られ、自らやめる道を選択する場合もあります。
優れたアートに存在する、視点の変換とそれによる気づき。それと共通する歓びがやさしいズの作品にはあるのです。
こんなコントに思わず遭遇できるから、テアトロコントを観に行くのはいつまで経っても、やめられない、とまらない。(市川幸宏)

コント天国 ザ・ベスト+
ガクヅケが、コント中のいちばんに最適なパートで、セリフや状況説明をすっ飛ばしてまでふんだんに時間を割いて組み込む音楽が大好きなのだが、本公演でもその魅力を堪能することができた。
1本めの『名前』では、客の船引が数百円の会計に一万円を出し、店員役の木田が全くお釣りを返さないことから始まる。というか、それ以上にもそれ以下にも展開しない。「お釣りを返してくれ」からはじまるさまざまな船引の問いに、木田は花*花の「さよなら大好きな人」の替え歌、「お釣りを返さない人」の歌唱一本で勝負する。「さよなら大好きな人」ってこんなにも面白かったのか…!(おもしろくはない)と気づかざるを得ない、ツッコミと歌詞の絶妙な掛け合いだった。本レビューを書くにあたって「さよなら大好きな人」の歌詞を読み返したが、「ずっとずっとずっと 返さない人~♪」と口ずさんでは、にやりとしてしまう。お笑いとして満点のパブロフの犬状態である。音や歌、リズムでの盛り上がりが笑いのメインであるため、その前にある芝居や状況設定は唐突で、リアリティがないともいえる。オチもぶつ切りではあるが、だからこそメインが際立ち、観客がその1点に狙いを定めて没頭することができるのだと思う。
『名前』で店員役をした木田がなぜか女性店員であったように(花*花を歌うからかもしれない)、3本めの『けんいち』もかなり唐突なスタートだった。転校生の初日1発目の授業が体育なことあるのか?とつっこみたい気持ちを抑えて、転校コント定番の席を指定する教師のセリフを追っていれば、その後は完全にガクヅケのペースである。このコントにおける笑いを構造化して口で説明するのは非常に野暮に思われるのだが、リズム天国のパーフェクトプレイ動画でなんか笑っちゃうのと、同じである。コントに音楽を組み込むという趣旨自体はいわゆるシティ派に分類されそうな笑いなのだが、船引のゴリゴリの関西弁ツッコミと、2人のなんだかあか抜けない雰囲気が、ガクヅケが愛される所以だと感じる。
本公演2組めのお笑いコンビ、かもめんたるが最低限の道具で、SEも使わずにコントに挑んでいたことで、よりかもめんたる本体の芝居のポテンシャルを感じられたように思う。披露された3本のコントに登場したそのキャラのどれもが、鑑賞後も強く頭に居座り続けるもので、1本めの『学芸会』は設定こそ割とシンプルであるものの、う大演じる父親の強烈なほどにありきたりな振る舞いにより、そのキャラクターを印象づけていた。桃太郎の主役としての学芸会を控えた息子を、う大とは打って変わりひとつのクセもなく演じ切る槙尾。
お笑いコンビは2人、あるいはそれ以上の人数が1つとなって漫才でもコントでも、なんらかの演目を披露することで完成するものであるが、かもめんたるから感じるのはもはや各々のマンパワーのみである。コントにも演劇にもある、「みんなで頑張って完成させました!」という波に流されることなく、自然と声を出して笑い、前のめりになっていた体を背もたれに預けながら拍手を送ってしまう。(suama)

かもめんたるのコント論とその実践
多くの観客はコントや演劇を観て、あーでもないこーでもないと理屈を並べる。私もその一人である。ここをこうすれば、あそこをああすればと考えるのは観客の楽しみの一つでもある。しかし、演者にとってこのような観客の理屈は、時として癪に障るものになるだろう。理論や理屈の実践は、おそらく演者にしかわからない難しさがある。このように考えると、コントを披露する者はあまり自らの理論を表に出さない方が身のためかもしれないと思われる。なぜなら、一度自分が構築した理論を表に出してしまえば、舞台上で実践されるコントと理論とを、観客に簡単に見比べられてしまうからである。自分の理論がどれだけ舞台上で実践できているのかを、意識的にも無意識的にも観客に〈審査〉されてしまい、ノイズになることもある。自らのコント論は明かさない方が安全なのかもしれない。
 コントや演劇における理論と実践の関係を書いてみて、本公演に出演したかもめんたるの地肩の強さを改めて思い知らされた。かもめんたるのネタ製作者岩崎う大は、数年前からテレビのお笑い賞レース後に感想を出演者ごとにまとめた文章をnoteにアップしている。そこで読むことができるのは岩崎が各出演者の漫才やコントのどこが面白いと感じたのかだけでなく、どうすればより良いネタになるのかという岩崎なりの考えもよむことができる。どうすればネタが改善されるのかという岩崎の文章には、どのようなコントが面白いのか、自分たちはどのようにコントをしているのかという理論を読み取ることもできる。賞レース後、いつもお笑いファンの間で岩崎のnoteが話題になっていることから、かもめんたるのコント論は観客にも筒抜けになっているはずである。それでも今回のテアトロコントでも圧巻のコントを観せ、笑いをかっさらっていた。先に述べた理論と実践の関係から考えると、高く上がった観客の持つハードルを飛び越えてみせたために、かもめんたるのコントの強さを思い知らされるのである。
 岩崎がどのようなコント論をもっているのかは彼のnoteを実際によんでみてもらいたいのだが、私なりに彼の文章を読んで感じたことは、ありえない人、出来事が現れるコントにおいてどれだけ世界観を構築することができるかが岩崎にとって重要視されているということである。単に面白いボケをいれるのではなく、なぜそのボケがでてくるのか、なぜ登場人物がそのようなセリフを語るのか、妥当性を持つ物語の論理のなかでボケやツッコミが生まれなければ、良いコントではないのだ。
 かもめんたるのコントには気味の悪い人間が登場する。本公演で披露した『路上マッサージ師』もそのような人間が現れる。ベンチで座っていたサラリーマンに話しかけるマッサージ師の見習い。そもそも外で他人をマッサージしようとする人間が少し気味悪いのだが、もっとこうしたほうがいいとアドバイスされると途端に機嫌が悪くなり、徐々に気持ち悪さが増してくる。この人間のおかしさがこのコントの肝ではあるのだが、単におかしな人間と遭遇したという出来事がえんじられているのではない。冒頭でこの後マッサージを受けるサラリーマンが電話で他人と話していて、この後空き時間があることが明かされていたり、二人の少しムキになるような性格がわかるような台詞や演出がはいっていることで、なぜこの二人の人間が関わり合っているのか、観客は少しの疑問点を持つことなくコントに入り込むことができる。このコントには浮いたボケが一つもなく、精巧な世界観を構築することができているのである。このようなコントを観せるかもめんたるは、理論と実践を両立した非凡なコント師であるのだ。(永田)

テアトロコントという贅沢品を味わえるかどうかは、観客にかかっている。
《1》【竹内ズ】<コント師>2人組/演目:『ポケモン言えるかな?』計5作品/★★★★☆/
手話人が「ポケモン言えるかな」の歌にでたらめな手話をあてるコントから始まり、立てこもった犯人に何度拳銃発砲されても死なないでたらめな刑事二人、交通整理の赤い棒を見るうち、スターウォーズ殺陣をやりたい衝動にかられ事故を起こすでたらめ警備員、街中でYOASOBI「夜に駆ける」を吹くでたらめ虚無僧、と、「でたらめさ」という単純なワンアイデアで見やすいコントが次々と積み上がっていく様は、日常疲れた体でもスワイプするだけで楽しめるTikTokも似た新時代の笑いの振切り方で、逆に賢い。水ダウ解散10秒記録もその賢さ故のような。
《2》【明日のアー】<劇団>出演者:9名/演目:『ノリの培養』他、計9作品/★★☆☆☆/
「私達の生活から飲み会というものがなくなりました」。作・演出家が登場し、昨今の事情を語る前説で、もし今後も飲み会が消滅した世界で、未来の考古学者が大学生が飲み会を推察したらこんな感じでは…と、原始人のような雰囲気の人たちが”乾杯””一気コール””山手線ゲーム”等の誕生を見守る作品『ノリの培養』から始まり、実質9シーンのアイデアスケッチがシームレスに繋がったような9作品。竹内ズと打って変わり思考実験を楽しむスタイルで、観客の思考力と体力が試される。勝手な推測では、明日のアーは、今回のような思考実験やアイデアスケッチに立ち位置を置くものと、前回出演時の『ギフテットクラブにようこそ』『山裾の雌犬たち、喋る』等、どこか区切られた場所の人達が、スピード感のある会話とおかしみで盛り上げる2タイプがあり、それは勿論30分という特性上だとは思われるが、その振れ幅に驚かされる。個人的には後者の親しみやすいハイテンポ会話劇の方が楽しみやすいが、自分等が言うまでもなく何を表現したいかは本人の自由なので、これからも楽しませて頂きたい。
《3》【やさしいズ】<コント師>2人組/演目:『タバコ』計4作品。/★★★★☆/
「俺たちは、生きてるからタバコを吸ってるんじゃなくて、タバコを吸うために生きてるのよ。一日でも長くタバコを吸いたいという想いで生きてんのよ。俺たちにとってタバコって、養命酒なのよ」。タバコをやめさせようとする友人に独自理論で返す男。日常やSNSでも対立しやすく、多少敏感なテーマにも関わらず、独特のワードセンスと切れ味、飄々と畳み掛けるキャラクターで沸点が下がり、笑いが連発。「俺はタバコ税を払ってる!2兆円だ!2兆円ってどんな額かわかるか?後半の桃鉄!もはや俺の国だここは!」。支離滅裂ではあるんだが、ここまで面白く言い切ると、勝手にしてもいいんじゃない?と思えなくもない。他作品にも通底するのは”人間のだらしなさ”や、”視野の狭い時の人間の面白さ”で、安心・安定の30分だった。
【総評】体が疲労している時でも、笑いに力強く引っ張ってくれる芸人さんのコント力に、今回も感心し尊敬の念を抱くと共に、本当は、明日のアーのような、腰を据えて思考する贅沢を楽しめるような余裕ある暮らしをしなくてはならないと反省もする。古代ヨーロッパでは奴隷を働かせ暇を持て余した貴族が、思想哲学やヨガに勤しんだと聞く。シンギュラリティーによりAIが発展し、退屈な仕事から人類が開放されたその時は、テアトロコントを思い切り楽しめるような日常を送っていたい。テアトロコントという贅沢品を味わえるかどうかは、観客にかかっているのかもしれない。今回も沢山の学びを頂いた運営・出演者の皆様に感謝致します。(モリタユウイチ)

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