渋谷コントセンター

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2020年8月28日(金)~8月29日(土)

テアトロコント vol.46 渋谷コントセンター月例公演(2020.8)

主催公演

公演詳細

テアトロコントvol.46(8/28)の演目
【サスペンダーズ】『ペイチャンネル』は、男が出張先のビジネスホテルでペイチャンネルをみるために専用のカードを買おうとするも、紙幣を挿入したとたんに自販機が反応しなくなり、右往左往するといった話。機械のきまぐれに人間がふりまわされるというシチュエーションはコメディの十八番だが、場をビジネスホテル、機械をペイチャンネルのカード自販機としたことで、現代性が加味されてオリジナルな笑いを生んでいた。『再会』は、会社員の男が小学校時代の同級生と久しぶりに再会するが、同級生は男よりも男がそのとき背負っていた「家庭科の実習で作ったドラゴン模様のナップザック」との再会の方にいたく感激するといった話。アイテムの具体性が笑いの源泉になっていたように思う。また、15年以上も前に学校の授業で作らされたナップザックを社会人になってもまだ、それも仕事中に使っているというディテールは、この男の人となりを一瞬でいろいろと想像させるに足るものがあって、話に奥行きをもたらしていた。分厚いキャラクター造形だと思う。『回転寿司』は、回転寿司屋で寿司を食べ終わったあと、皿の模様と値段とを取り違えていたことに気づき、支払いが足りなくなってあわてる男の話。似たような失敗に心当たりがある自分は冒頭からツボにはまったが、そこはあくまで話の発端にすぎず、2年前にとんずらした元バイト先の元上司が偶然来店し、せっぱつまって助けを求めたことから男はさらに窮地におちいる。ここからの男と元上司のやりとりがすこぶる面白い。理詰めで問いつめる「怒りを風化させない」元上司と、とんずらの動機となったいやな思い出が脳裏によみがえる男。しゃべり方に一切のためらいがない元上司を演じた依藤たかゆきがとてもうまかった。『おなべ』は、冒頭である違和感が提示されるが、それを宙ぶらりんにしたまま大学生2人がたわいないやりとりを続けるところにとぼけた味があった。『としまえん』は、公演日の3日後に閉園した遊園地としまえんを舞台にしたコント。〝エモさ〟がこれ以上ないほど充満した場で、自分の「感受性の豊かさ」をアピールせずにはいられない人と、それをみて、そこまでの感慨を抱けない自分は「心が貧しい」のだと卑下する人との対比が描かれる。いまどきの人々が日々どんな心理戦にさらされ、もっともらしい言葉に消耗させられているか、その一端が垣間みえて、風刺として出色の出来だと思った。タイミングもすばらしい。
【大自然】『蜂』は、ペットの蜂を捨てようとする飼い主と、そんな飼い主をヨガのパワーで思いとどまらせようとする蜂とのやりとりが描かれる。『告白』は、見知らぬおじいさんに拾われて育てられた男が、成長して自分は実はキツネなのだと告白するも、おじいさんからお前はタヌキだと反論されるといった話。『コンビニ』は、コンビニに来店した巨大な木とコンビニ店員とのいかにもコンビニ的なやりとりが描かれる。いずれもファンタスティックで荒唐無稽で、最初はあっけにとられるが、世界観にブレがないのでそういうものとして最後までみれてしまう。一見するとしんちゃんの方がボケのようで、突き抜けたわかりやすい面白さがあるが、それをそのまま受けとめて常識で断罪したりしないロジャーの方も、現実の視点からみれば相当な、輪をかけたボケであり、悠々とした立ち姿と全体を貫く低音の声からおかしさがにじみでていた。
【地蔵中毒】『丘』『さくら』『定食屋』の3本。地蔵中毒をみるのは今回で2度目(前回はvol.34)なのだが、短い言葉のギャグや出オチギャグを連発して力でねじふせていくようなところや、1つの人名(「梅沢富美男」、前回は「松崎しげる」)に異様にこだわるところなどが共通していた。ストーリーはあってないようなもの、というか、脈絡のあるストーリーを語ることをあえて避けているような印象すら受ける。そういうスタイルなのかなと思った。「私たち全員Jリーグに興味ないじゃないですか」という女のせりふが面白かったのだが、『丘』と『定食屋』のどちらだったか忘れてしまった。それほどに全体が混沌としていた。1本(15分前後)の演目で一体いくつのギャグが放たれたのか、数えてみたら相当な数にのぼるのではないか。(大熊)

目指せ!知性をひけらかさないコント馬鹿
気弱でおっちょこちょいで自意識過剰で妄想パニックに陥りがちな小市民的男性を演じさせたら、今、この人の右に出る者はいないと言っても決して過言ではないでしょう。その人の名は古川彰悟さん。依藤たかゆきさんとサスペンダーズというコンビを組んでいます。
ビジネスホテルの廊下でプリペイドカードを買おうと思ってニヤニヤしながら1000円札を入れた時、たとえ、カードが出て来なかったとしても、ブチ切れて機械を蹴飛ばしたり、フロントに怒鳴り込んだりなんてことは絶対にしません。否、できません。後から買いに来た人が1000円札を入れ、詰まっていたカードが一緒に出て来た時、おどおどしながら、それが自分のものだと小声で主張するのが関の山です。
かと思えば、回転寿司で二番目に高い皿と三番目に高い皿を逆に認識し、所持金が足りないことに気づくという、粗忽な一面も持っています。そこに運よく入店し、寿司を食べ始めたのが、見たことのある人。「あれ、誰だっけ」と考えていたら、昔、飛んで辞めたバイト先の店長だと気づきます。さて、あなたなら、どうします?二度と会いたくない人と言っていいでしょう。普通に見かけたら、顔を伏せ、気配を消して、その場から立ち去る。そういう行動を自然にとってしまうような相手です。いくら金が足りないからと言って、そんな人に金を借りようと思うでしょうか?でも、借りようとするんです、この男は。一体、何故?追い込まれると状況判断ができなくなる。もしかしたら、そんな真理をついているのかもしれません。でも、ちょっと想像すれば分かる通り、事は上手く運びません。それどころか、辞めた時、店長が立て替えておいた2000円を逆に請求される破目に。こんな具合に、些細なトラブルからズブズブと泥沼にはまっていく男の切なさ、そして、情けなさが、古川さんの程良い顔芸も相俟って、胸に深く迫るのです。
コントは勿論、のんべんだらりと聞き流すのではなく、是非、聞き耳を立ててもらいたいのが、コントの合間に流れる音楽。それが、単なる転換のための時間繋ぎではなく、明確な意図をもって選ばれた曲であることが分かった時、客席でニヤリとほくそ笑むことができるからです。
近い将来、キングオブコントのチャンピオンになってもおかしくない実力派。共に早稲田大学卒という高学歴だけに、インテリ芸人として変な売れ方をすることなく、コント馬鹿に徹し、ダメ人間の悲哀を描き続けてほしいと切に願う、2020年の夏の夜。(市川幸宏)

こんな時代だからこそ景気の良いラブレターズを
今回の公演ではラブレターズが一番好みだった。『街の定食屋さん』のテンポ感。食べた定食の価格がクーポンやサービスなどをドヤ顔で使ってどんどん下がっていくにつれて、客を演じる溜口さんのテンションはどんどん上がっていく。不景気なネタなのに、テンポ感で景気良く終わっていくのが面白かった。あと、ジャンケンのテンポの気持ち良さも再確認。値引きのリズムの中で繰り出される「ジャン、ケン、ポン!」「ヨッシャー!!」で、また値引きされる高揚。皆大好き『野球拳』も当然、ジャンケンネタ。こちらの方がより景気が良い。景気が良いベースにちょっとした悲哀を入れ込むのが、より可笑しみを助長させているように思う。「もう野球なんてやめた~♪」のCメロ部分、いつも笑っちゃう。『集まれフィッシャーマン!』は逆にテンション低め。大きい池の近くで釣具屋を営んでいたら、池から水が抜かれていた。「池の水を抜いて何が面白いの?」という会話が2~3分繰り広げられているときは、コントの体を借りた楽屋での会話みたいだった。「日常会話が漫才みたい」とはよく聞くフレーズだが、「コントなのに楽屋みたい」という逆の現象がなんだか面白かった。そのときは釣り人‐店主ではなく、塚本‐溜口に見える構造だった。『光』は引きこもった息子が「どんぐりYouTuber」として活躍していることに気が付く両親の話。引きこもりという現実に光明が差すにつれて可笑しみも増していく。息子の引きこもりから立ち直っていく家族の感動の物語と「どんぐり」のギャップから来る笑いがベースとなっている。普通に良い話が展開されているのに、その展開一つひとつに「どんぐり」というキラーワードが絡んできちゃうから笑うしかない。塚本さんがたくさんのどんぐりを落とすタイミングとその前フリの無駄のなさに震えた。
ゾフィーも爆笑をかっさらっていた。『半沢直樹』的な圧が強いと思った。個人的には、熱量や圧ではない方法での面白いものがもっとみたいなと思った。野心をあまり感じないコントというか。そういう意味でも本来出演予定だった、古屋と奥田も見てみたかったなと思った。この座組なら静かなことを演じる団体がいて良い。
地蔵中毒は、ラブレターズ・ゾフィーというあまりに手練れな2組の後ということもあり、少し大変そうに思えた。劇団はあまり複数組で上演するということもないので、いろんな面で比較されてしまうというところはしんどいよなと思う。地蔵中毒はアマチュア感の良さが売りだったりすると思うので、それがあまりに上手い2組の後だと欠点として浮き上がりやすいかなと思った。(倉岡慎吾)

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