渋谷コントセンター

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2020年9月25日(金)~9月26日(土)

テアトロコント vol.47 渋谷コントセンター月例公演(2020.9)

主催公演

公演詳細

テアトロコントvol.47(9/26)の演目
【そいつどいつ】『すっぴん』は、同棲を始めたばかりのカップルの女の方が化粧を落とした素顔をみせたがらず、男にせかされてようやく見せるかと思いきや、やはり見せない、といったやりとりが描かれる。一か所に立ったまま足ぶみするように身悶えして、困ったような甘えたようなうめき声をあげる市川刺身の芝居に妙な見ごたえがあった。『ミルク』は、後輩は先輩を立てるべき、と考える先輩刑事と、そうした考えを微塵ももたない後輩刑事との張り込み中のやりとりが描かれる。先輩の価値観に共感できるかというとそうでもないのだが、気を使うという意識がすっぽり抜け落ちているかのような市川のすがすがしさはやはり笑える。『電車』は、酒に酔って電車に乗った男が居眠りから目を覚ますと、実在する駅と微妙にずれた名前をもつ駅を次々と通過していき、隣の乗客に話しかけても話が通じない、といった話。シンプルなところがよかった。せりふ(徐々に困惑がエスカレートしていく「すいません、どこっすか?」)と照明という最小限の要素で不思議な空気感が醸成されていくのをみて、生の舞台はやはり面白いと思った。『借金取り』は、借金をしている男の部屋に借金取りが上がりこみ、どこかにあるはずの金を奪い取ろうとする話。要求されているものをなかなか出さない(見せない)という点で『すっぴん』のバリエーションのようにもみえるが、こちらは動きがよりダイナミック。そしてここでも、両手両足を駆使して感情をオーバーに表現し、体内から声を絞り出すようにしてうなる市川の芝居が目を引いた。舞台袖の箱(スピーカー?)にぶつかりそうになったときのアドリブ的な反応もおもしろかった。
【かもめんたる】
『1. 腹話術』は、妻の浮気を疑う夫と、そんな夫に嫌気がさしている妻とが、腹話術を介して会話するといった話。相手の目を見ず口も動かさずに本音を話せるから腹話術、という発想は、実は理にかなっているのでは?、という思いが観終わったあとも消えない。見た目のばかばかしさについ目が行ってしまうけれど、変な説得力のある作品だった。冒頭、岩崎う大の白髪交じりのカツラと槙尾ユウスケの女装姿がしっくりしすぎて、笑うのを通り越して感心してしまった。『2. 昔の友達(ハードコア編)』は、アラフォーの会社員が街中で映画の撮影隊に遭遇し、その中に、役者を続けている昔の友達を発見するといった話。友達は役柄のために学ランを着ているが、外見から年齢は隠しようがない。撮影しているのがアダルトビデオで、しかもゲリラ撮影だと聞き、会社員は複雑な思いを抱く。が、主演の女優が友達の奥さんだとわかると、とたんに別方向に気持ちをかき乱される。このあたりの急旋回と、良い意味でのどぎつさに、かもめんたるの底力を感じた。「わかんねえ、わかんねえけど」という友達の口ぐせは、おれはなんでこんなところにいるんだろう(考えてもわかんねえけど)という心の声のようにも聞こえる。『3. 関西人とホームセンター』は、関西弁なまりの男がホームセンターにやってくるが、買いたいものをど忘れしていて、応対した人のよい店員をふりまわすといった話。店員が恐縮すれば「あんたのせいじゃない」と寛大なふりをしてみせ、製品の名前を思い出せなければ「あんたのせい」と責任をなすりつけ、と態度がころころ変わる、口先だけの、気分屋の〝関西人〟のキャラクターがおもしろい。現実にモデルがいるのではと思うほど描写が細やかで見ごたえがあった。
【東葛スポーツ】
『スポーツ新聞記者』は、昨年公開された映画『新聞記者』を下敷きにした作品。漫談風のモノローグ、映像を使ったスケッチ、ラップなどがコラージュ風に組み合わされている。パロディ的なストーリーラインもあったが、後半のラップのインパクトが強すぎて印象は薄かった気がする。根底に世相風刺、政治風刺があるところは前回(テアトロコントvol.42)と共通しており、そこがやはり大きな魅力だと思った。現役の政治家を笑い飛ばしているところがよい。都知事のモノローグは、はりついたような笑顔と優しげな声の下に見え隠れする冷たさを巧みにすくいとっていて、面白くも不気味だった。演じた稲継美保がとてもよかった。ラストは惜しかった。(大熊)

真のキングオブコントとは?
2020年9月26日はお笑いファンにとって忘れがたい日となりました。TBSテレビが開局65周年記念として「お笑いの日」と銘打ち、キングオブコントを含み、芸人のネタを8時間にわたって生放送するという、未だかつて正月以外にはあり得なかった、快挙という名の暴挙に出たその日、ユーロライブのステージではキングオブコント2013の覇者、かもめんたるが何食わぬ顔をして狂気が迸るコントを演じていたのだから。
倦怠期の夫婦が視線を合わさず、ペットを介してなじり合い、いがみ合うという背筋の凍る現実を耳にすることがありますが、かもめんたるの夫婦はペットさえ必要としません。本音を吐露するのに用いたのは腹話術。人形は使わず、手の指で口の動きを表現し、互いに罵り合います。傍から見れば、コミカルにもホラーにも感じられるこのラリーを続けるには相当なコンビネーションが必要です。言葉だけでは分からない夫婦仲の良さが伝わってきます。かもめんたるというコンビ名には、カモメのように飄々としながらも、人間のメンタルを深くえぐるようなネタをするという意味が込められていると言いますが、まさにそれを象徴するネタであります。
さらに狂気は爆発します。ロケをしているアラフォーの売れない役者にバッタリ出会った昔の友達。それが女教師もののいかがわしい映像作品だと分かり、しかもゲリラ撮影しているところを警察に見つかり、追われるさまを目撃した時の戸惑いとハイテンションで開き直る友人。二人が歩んだ人生のギャップ、時の流れが削り取った深い溝を目の当たりにすると悲哀を感じずにはいられません。捨て鉢な生き方に身を投じる役者を演じた岩崎う大さんは、ホームセンターに来たものの、何を買いに来たかを忘れてしまう粗忽な関西人も演じます。性質が悪いのが、槙尾ユウスケさん演じる、何の非もない店員にハイテンションで絡む点。古典落語にもありがちなベタな設定ではありますが、これをデフォルメすることで店側の迷惑度、厄介度を何倍にも引き上げ、笑いを増幅しています。ラジオ番組「東京03の好きにさせるかッ!」のコント作家として、また、権威ある岸田國士戯曲賞にノミネートされる劇作家として着実に地位と名声を高めているう大さんですが、忘れてはならないのが、エキセントリックでクレイジーなボケ芸人としての唯一無二性。それは、テレビのフレームには収まりきらない際どさがあり、であるが故に、今日の活躍に繫がっているとも言えるでしょう。真のキングオブコントとは?それは大会の頂点に立ったその瞬間に生まれるものではなく、その後の歩みが証明するということを観る者に強く訴える一日となったのです。(市川幸宏)

『スポーツ新聞記者』という引用
テアトロコントvol,47の唯一の演劇組の作品は東葛スポーツの『スポーツ新聞記者』である。
小池百合子(マスクを被った人)のの痛烈な漫談から、誰が、何が「右」か「左」かを見る視力検査が始まる。
この冒頭を見たら、確かに笑ってしまう。笑ってしまうのだが、同時にいやらしさを覚える。現代社会の時事を鋭くきっているようで、ただ事実一つ一つを触っていくだけで自分の主張は述べない。こう思うと、言葉にくすぐられたような気がして自分の発した笑いにいやらしさを覚えてしまうのだ。
ここまでは否定的な感想を述べてきたが、何もここで東葛スポーツの笑いには風刺がないからオワコンだなどと言いたいわけではない。おそらく、小池百合子の漫談も、視力検査も、「風刺」をしようとなどという理由で作られてはいないだろう。そして、「東葛スポーツの16小節」から始まる『スポーツ新聞記者』の本編は、いやらしさを与えた「主張のなさ」をより強めていく。
『スポーツ新聞記者』の元ネタである映画『新聞記者』の映像が流されながら、望月衣塑子を思わせる語り、菅義偉の実際の会見、松井秀喜が一面を飾った東京スポーツの写真が挿入されていく。
『新聞記者』は見たものに何かしらの主張を求める映画が、事実と虚構と事実でも虚構でもどっちでもいいものの引用によって、流れる映像から何かしらの主張も見えなくなってしまう。劇場に響く言葉にはもうどんな主張も込められていないのだ。
主張のない言葉。それは冒頭から一貫して語られている。しかし、冒頭で感じたいやらしさは、最後のラップを聴くときにはもう感じなくなっている。それは、あまりに多いどうでもいい引用から、この世界の複雑さを見せつけられ、世界を見渡すには何か主張を述べる時間もない、風刺ではなく茶化すようにしかできないのだと思い知らされたからだ。
『スポーツ新聞記者』という一つの世界は、我々の生きる世界を切実に表している。それも、自分の主張を挟まないという最も純粋なやり方で。
誰かが自殺したとか、誰かが不倫したとか、誰かが辞めさせられたとか、あらゆることが一つの世界の中でそれぞれが無関係のように起こっている。ならば私たちは笑おう。色んなことに、綱渡りをするようにフラフラしながら近づいて、茶化しながら、笑いながら、そうやって私たちは私たちの生きる世界を見つめていこう。いちいち風刺なんかしていたら、主張なんか込めていたら、そんなことしてる間に死んじゃって、自分がオワコンになってしまうから。
(永田)

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