渋谷コントセンター

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2019年2月22日(金)~2月23日(土)

テアトロコント vol.33 渋谷コントセンター月例公演(2019.2)

主催公演

公演詳細

テアトロコント vol.33(2/23)の演目
【マッハスピード豪速球】『サービス』は、町の安定食屋が舞台。採算度外視で客にサービスを提供することが何よりの喜びである初老の店主と、何でも金に換算し、自分中心に思考することが当たり前になっている客とのやりとりが物語のメインとなる。客の言動は傍若無人で、それにいちいち反論しなければならない店主の姿は哀れを誘う。しかし一方、最初の別の客とのやりとりで例示的に描かれるように、店主のサービスもなかなか過剰で、善意の押し売りに近く、客に「サービスをしてもらって喜ぶ客」の演技を強いているようなところがあるので、提示される状況は見た目ほど単純ではない。演劇としてみると芝居が粗くお笑いのコントとしてみると笑いどころがそれほど多くなかった印象はあるが、過剰なサービスに対する違和感に果敢に切り込んでいるところと、「話に耳を貸さない人とそれにふりまわされる善意の人」というわかりやすい構図に落とし込んでいないところに、攻めの姿勢を感じた。
【わっしょいハウス】わっしょいハウスは、この日の冒頭、各グループが舞台に出て挨拶をする時点で、その辺のオフィス街にいそうないまどきのサラリーマン的雰囲気をグループでまとっていたところがすでに面白かった。1本目の『木星の逆行』は、エレベーターホールで遭遇した男女の対話を描いた寸劇。エレベーターがなかなか来ず、沈黙に耐え切れないような格好で対話が始まる。それはどこかで聞いたことがあるような対話で、こういう状況にありそうなセリフをそのまま借りてきてしゃべっているように聞こえる。偶然にもマッハスピード豪速球と同じく日常における演技が描かれているなと思ったが、こちらはより自覚的で、男には「ぼくたちって、何かを演じさせられてるだけじゃないかって」というセリフを、女には、日常で演技をしているように感じることってありますよね、といったセリフをそれぞれ言わせて、メタフィクションな構造に持ち込んでいる。普段どれだけ自分由来の言葉をしゃべっているかと、問いかけられているように感じた。2本目の『木星のおおよその大きさ』は、1本目の演目と同じ職場にあると思われる男子トイレが舞台。こちらも、どこかで聞いたことのあるようなセリフをしゃべる新人、中堅、ベテランの会社員が登場し、対話が構築されていく。私たちはいとも簡単に他人の言葉で自分を語り、それでよしとしてしまう、という実例を見せられているようで、風刺というか警句のようなコントだと思った。
【劇団かもめんたる】ある男が小説の賞を獲り、お祝いのため友人4人が部屋に集まるが、実は、男が小説を書く際に使ったペンは妖怪の持ち物で、ペンを取り返しにやってきた妖怪の兄妹から、執筆によって失われたペンの妖力を人間の命で償うように求められる、という『不思議なペン』。本人が真剣になればなるほど観ているほうは笑いがこみあげるという、コメディを体現したようなかもめんたるの2人の存在感が楽しかった。他の4人の役者も表情がそれぞれ個性的で、キャラクターに魅力を感じた演目だった。
【チョップリン】『喫茶店にて』は、ウェイターが何か動作をするたびにドラムロールが鳴り響く喫茶店が舞台。そこへ客がやってきて、最初は奇妙な設定に戸惑うが、徐々にそのやり方に飲みこまれていく。ドラムロールはCDではなくオーケストラの生演奏だったというオチで、舞台裏への想像が一気に膨らんだ。吉田戦車や和田ラヂヲのギャグマンガの実写版をみているようだった。『娘さんを下さい』は、娘の彼氏と喫茶店で初めて対面することになった父親の話。靴とズボンが一体になった「靴」を履き、腰のベルトを「靴紐です」と言いはり、とぼけているようでいてある特定の質問には返事をしない彼氏。役に同化している様子は生でみると不気味な迫力があった。『店内にて』は、パンチパーマをかけた荒っぽい男が無印良品の店にやってきて、気弱そうだがあからさまな偏見を持つ男性店員とやりあう。「パンチに合う冷蔵庫って逆になんや」など、店員の嫌らしい態度を言葉でぶすぶすと突いていくところが面白い。面白いのはチョップリンの2人であって抽象的な関西人一般ではないということは理解しているつもりでも、渋谷のど真ん中で、次々に繰り出される関西弁の啖呵を聴いていると、こういう言語感覚はどうやったら養われるのか、土地の特性や遺伝ってあるのだろうかとつい考えてしまった。最後は、拡声器でバニラトラックのごとく店名を連呼し、客をドンキホーテへ誘導しようとするも鈍器で殴られるという鮮やかなオチ。こんど無印良品へ行ったとき、「全部途中か」というセリフをつぶやかずにはいられない気がしている。(注:セリフはすべてうろ覚えです)(大熊)


二つのロングコントから考える、「純粋」なコントのこと
マッハスピード豪速球と、劇団かもめんたる。今回登場したなかで、持ち時間をオムニバスではなく一本のコントに費やしたのはその二組であった。マッハスピード豪速球も、劇団かもめんたるの核と言っていいかもめんたるも、どちらも正真正銘のお笑いコンビである。お笑いの精神を核に持ち、異なるアプローチで「30分のコント」に向かい合った二組を比較することで、テアトロコントらしく「コントと演劇のボーダー」を眺めてみたい。
テアトロコントに登場するお笑い芸人としては珍しく、マッハスピード豪速球は「演劇」と言っても差し支えないロングコントを披露した。
坂巻演じる店主の洋食店に、ガン太演じる若い客がやってくる。全品サラダと味噌汁付きで490円という価格設定、少し汚れてはいるが居心地のいい店内、それに、サービス精神あふれる店主の気さくな態度に対して、一見のこの客は好感を持つ。赤字覚悟の経営だが、店主は「学生さんの笑顔が見られればいい」と笑顔を絶やさない。経営方針をめぐって店主は妻と対立し、その結果妻に出ていかれたりもしたものの、それでも店主はこの仕事にやりがいを感じている。
しかし、二人目の客がやってきたとき、店主の「サービス」はすべて逆効果となる。ミックスフライとカレーが同額ならば、カレーを頼むとコスパが悪く損した気分になる。カレーに味噌汁は合わないが、味噌汁は「サービス」なので味噌汁を抜きにしても価格は変わらない。あと、妙にサラダがまずい。
そして、三人目の客がやってきたとき、店主はさらに悩むことになる。この客は、かつて愛したメニューであるグラタンを求め、十数年ぶりにこの店にやってきた。しかし、店主の「サービス」精神により全品を490円にすると決めたため、あまりにも原価の高いグラタンはメニューから消えたのだ。無理を言って作ってもらったグラタンの味に感動した客は、自分がグルメ雑誌の編集長であることを明かし、この店をグラタン専門店にして人気を呼ぼうと提案する。しかもこの客によれば、出ていった妻はこの店のグラタンが自慢だったというのだ。グラタン作りを再開すれば、妻も帰ってくるかもしれない……。心を動かされた店長は、ある決意をする。
この後、四人目の客がやってきて、このコントはある結末を迎える。
上演中も感じていたが、こうやってあらすじを追ってみるとこのコントの「演劇」っぷりがよくわかる。あらゆる要素が笑いのためだけにあるものを「純粋なコント」とするなら(純粋だからいい、不順だから悪いというわけではない)、思わず観客が店主の幸福を願い、妻が帰ってくることを祝福してしまうこの作品は「不純」なのかもしれない。幸福になり、妻と再開されても、別に笑えないからだ。
ただ、この「不純」こそが「演劇」のような気もする。そういう意味で、暗転もなく、六人の役者が登場する劇団かもめんたるの作品のほうが「純粋」な「コント」だったように思う(何度も言うが、純粋だからいい、不順だから悪いというわけではない)。
劇団かもめんたる『不思議なペン』は、ある男が小説の新人賞を受賞し、そのバイト先の店長の家で、同僚の店員が参加する祝賀会が行われているところから始まる。かもめんたる・槙尾が演じる、少し様子のおかしな、でもギリギリ現実にいなくもない店長の様子のおかしさを楽しむコントかと思いきや、かもめんたる・岩崎と船越真美子が演じる妖怪二人が家に入ってきた途端、物語は急展開を迎える。
妖怪いわく、男が新人賞を取れたのは、彼が妖怪世界のペンを使って小説を書いたからなのだ。そしてペンのインクが空になってしまった代わりに、人間の魂を捧げることを求める。さらに、店長はもはや人間ではなく半妖怪「ポンパネ」で、人間の代わりにこの魂を捧げてもいいと言うのだ。もはや人間でもなく、バイト先でも浮いている店長に犠牲になってもらおうと、店員と妖怪が一致団結して店長の魂を引っこ抜こうとするが、新人賞を取った男は乗り気ではなく……。
作・演出の岩崎いわく「(岩崎)う大ワールドの神髄」であるこの作品は、マッハスピード豪速球『サービス』とは対照的に、「不純」な部分がまったくない「純粋」な「コント」である。設定もセリフも、すべての要素が笑いのために配置されている。
つまり、あくまで「純粋/不純」という基準ではあるが、お笑い芸人として「お笑い枠」で登場したマッハスピード豪速球のほうが「演劇」に近く、劇団として「演劇枠」で登場した劇団かもめんたるのほうが「コント」に近いのだ。
コントと演劇のボーダーが、テアトロコントを観れば観るほど曖昧になっていく。そのことを幸福に感じつつ、わたしは劇場を後にした。(森信太郎)

速さなんて要らない。
マッハスピード豪速球と言えば、今年1月に行われた「ビートたけし杯 漫才日本一」で優勝し、「第19回ビートたけしのエンターテインメント賞」の演芸新人賞を受賞した、今、最も勢いのあるコンビ。生のステージを拝見したのは今回が初めてなんですが、気づいたんですね、いろんなことに。それをつらつらと書いてみたいと思うわけで。
舞台はとある定食屋。一癖ある老店主を演じる坂巻裕哉さん。白髪交じりのヅラを被ってるとはいえ、面倒くさいジジイにしか見えません。勿論、それは役者としての「リアル」ではなく、コント師としての「らしさ」なんですが、その塩梅が実にいい。そして、店にやって来る客たちを入れ替わり立ち替わり演じるガン太さん。驚いたことに、彼が演じる一人一人も全く違った人物に見えます。衣裳やヅラは変えてますけど、それは最低限の記号であり、インパクトのあるキャラを作ってるわけでもないのにです。途中、客ではなく、店主の妻役で登場するシーンがあるんですけど、そこではまた、全く異なる空気を纏っているんです。全く別人かと思うほどに。演技力とはまた違う、独特の存在感。これを二人が持ち合わせてるところが、マッハスピード豪速球の魅力の一つ。
そうそう、一応、言っておきますが、このコンビ、マッハ感もスピード感も豪速球感もありません。今回のネタが特別だったら訂正しますが。でも、この逆張りのネーミング、コント作りのセンスにも表れているのかもしれません。
こだわりのある定食屋。メニューは一律480円という激安ぶり。しかも、サービスでサラダと味噌汁が付いて。でも、要らないから安くしてほしいとか、他のおかずに代えてほしいなんていう台詞は禁句。口にしたら最後「できねえよ。こっちはサービスでやってんだから!」とブチ切れられます。激安がゆえに水はセルフサービス。頑として出してはくれません。そう、決めたサービス以外のリクエストには一切、応えてくれないんです。いますよね、こういう自分ルール至上主義で融通の利かない人。客として一番行きたくないタイプの店ですね。勘違いしてる店主たちは、本当のサービスとは何なのか、是非考え直してもらいたいです。このコントを見て。
独り善がりのサービスを押し付け、周りが見えない老店主は、学生さんの笑顔が見れれば、それでいいという理由で、激安メニューを提供し続けてるわけですが、近くの大学はとうに移転し、パチンコ屋に。勉強熱心な苦学生にではなく、無職同然のパチプロに嬉々として料理を作っていたという展開も秀逸。落語的な悲哀に満ちて。褒め過ぎでしょうか?でもコレ、決してサービスではありません。(市川幸宏)

均衡
マッハスピード豪速球 30分ノンストップのロングコント『サービス』舞台はおじちゃん1人でやってる定食屋、全品480円味噌汁付き。カレーにも味噌汁。合わないし味噌汁いらないと言っても安くなる訳じゃないから何だか損した気分。サービスの移動は出来ない。というより融通が効かないおじちゃん。ここで問われてくる〝サービスの概念〟水はセルフサービス、サービスの概念。の割に無料のごはんのおかわりされるとイライラするおじちゃん。サービスの概念。いき過ぎるとサービスの押し付け。サービスの概念。そんな中、愛想を尽かし出て行ってしまう奥さん。過労で倒れてしまうおじちゃん。店は再開するものの相変わらずサービスにがんじがらめのおじちゃん。そこに何十年ぶりかで店を訪れる客。しかし食べたかったマカロニグラタンがない。おじちゃんが仕込みが面倒という理由でメニューから削除してしまっていたのだ。マカロニグラタンの素晴らしさを熱弁する客。おじちゃんはその熱意に打たれ定食屋をマカロニグラタン専門店にしてしまうが、今度は定食を求める客が現れて…。概念と効率性がテーマになっているネタで興味深く観たのだがオチのセリフで「ムズー!」というワードを使っていた。某コントチャンプもこのワードを使っていたのではないだろうか。時系列や意図的だったのか含めて何とも言えないが引っ掛かってしまった。勿体無く感じた。
わっしょいハウス『木星の逆行』来ない時は全然来ないエレベーター。普段あんまり積極的には喋ったことがない人と2人で待つエレベーター。割とグイグイきて鬱陶しい男トツカさん。聞いてないのにライフプランを語り、社会に思い込まされてるとか、みんな演じさせられてるとか陰謀論的全能感出しちゃうトツカさん。そんな話に乗ってくれようとした女の子カジタさんにフシギとかメンヘラとか言っちゃうトツカさん。『木星のおおよその大きさ』トイレに納得いかない様子で入ってきたコシバさん。仕事で明らかにミスった先輩にそれを指摘すると息巻く。それが愚痴だと後輩に悟られない様に。そこに問題の先輩が入ってきて今回のミスの原因は取引先だと言う。「まったくもって。」としか返せないコシバさん。ドンドン喋る先輩。どうやら家庭内が上手くいっていない様だ。「オレいつから、こんなになっちゃったのかな?」と尋ねる先輩。コシバさんには「ぼくには分からない範囲ですね。」としか答えることが出来なかった。2作品とも気まずさを纏い先入観に翻弄されながらも、それをすり抜けようとする登場人物達が素晴らしかった。
劇団かもめんたる 描き下ろしの『不思議なペン』作家デビューが決まった子の祝賀会をバイト先の店長の家でやることに。しかし何だか抑制が効かない店長。そこに現れた妖怪あばらいじめと、その妹チャリたおし。家宝の妖怪ペンを探していると言う。実はその作家デビューも妖怪ペンのおかげだったのだ。そしてやっぱり様子がおかしい店長。あばらいじめ曰く店長は半妖怪になっていて、家に執着する妖怪・ポンパネという存在になろうとしていた。店長役の槙尾氏が物語を引っ張っていこうとするが全体を巻き込んだ地獄絵図までは届かなかった印象。
チョップリン『喫茶店にて』店員が動くといちいちドラムロールが鳴る喫茶店。それで止まるトコいつもちょっと遠い。『どですかでん』良いですね。『店内にて』チンピラと無印良品店員の攻防戦。チンピラが怖すぎて接近戦に。無印良品で柄が入った家電を要求するチンピラ。コイツは時空がねじれて侵入して来たんだと思う店員。ここで店内に響き渡る違和感注意報発令!「おまえはドンキ行け!ドンキ戻れ!」と言う店員。が鈍器での反撃にあう。そこで「ドンキで殴られた!」このオチはちょっと…残念だったです。『娘さんを下さい』娘ラン子の彼氏に会いに来た父。彼氏の名は平平平平(ヒラダイラ ヘイペイ)時給340円。車で右に曲がれない。謎のシティ カツシカ・ヒロシマ在住。海の水全部飲み干し挑戦中。そんな何も持っていない彼が唯一持っていると確信してるものが〝結婚の資格〟であった。西野氏がツッコむ際にタタキを使っていたんですがテンポが悪くなる箇所があったのでタタキなしのコントも観てみたいと思いました。
今回のテアトロコントにはバランスを感じた。出演4組共それぞれに力があり安心感がある。しかしそこには安定というものもある。今後そこを突き抜けたり揺り動かす人達が出てくるのかを楽しみに、これからの演劇・コントに思いを巡らせる回であった。(イトモロ)

かもめんたるは、劇団になると、出演者に厳しいみたい。
《1》【マッハスピード豪速球】<コント師>二人組/★★★★☆/「学生さんの笑顔が見れればいいの!」全メニュー480円、サラダと味噌汁付ご飯おかわり自由の赤字経営をする定食屋さんの苦悩を描いた『サービス』一作品。コント師にしては珍しくスタートダッシュがゆるく心配した出だしだったが、「もうサービスにがんじがらめになってるじゃないですか!」など所々刺さりポイントがあり、ただの寸劇にならないところが見事。客と店のマッチングは確かに奇跡のような瞬間であり、そのズレは大いに笑いになる。その着眼点に敬意を評したい。
《2》【わっしょいハウス】<演劇人>出演者:3人/★☆☆☆☆/オフィスでエレベーター待ちの間、同僚の異性と会話を続けようとする気まずさを描く『木星の逆行』計二作品。エレベーターを待ってる時間や、トイレ中の会話など、いくらなんでもそんなに長くないだろうというリアリティの基本的な欠如は置いておいたとしても、全体的に冗長で、とりとめもなく、内容もなく、アートとしてはアリでも、娯楽作品としては厳しい印象だった。長尺の単独公演を見ればまた印象は違うのかもしれないが、二度テアトロコントで拝見した感じでは、特に笑いの要素は感じないのが正直なところ。
《3》【劇団かもめんたる】<演劇人?>/★★★☆☆/小説新人賞受賞のお祝いで、店長の家に招かれたバイト達が、突如現れた妖怪たちに、妖怪のペンを返してくれとせがまれる『不思議なペン』一作品。独創的な設定で、なおかつ登場人物のキメ細かい心理描写、高度な技術を感じさせるが、それが笑いに繋がっているかどうかはよくわからなかった。コント時のかもめんたるが大好きなだけに、不思議なものだなぁと考えさせられた。
《4》【チョップリン】<コント師>二人組/★★★☆☆/喫茶店の店員があるくたび、厨房にいるオーケストラによるドラムロールが鳴り響く『喫茶店にて』他計三作品。コント中、なぜか喫茶店のマスターを観客にしたかったらしく、次々に観客が断る中、仕方なく自分がマスター役になり、特に面白いことも言えずに終わってしまい、いたたまれない気持ちだったが、そもそも客いじりをする意図も不明だった。ただ、ドラムロールの音もサンプラーで細かく演技に合わせていたし、コント間の音楽も気の利いたモード・ジャズで彩られていて、音楽的センスの高い芸人さんであることはとても伝わった。少し作品や、会話のやりとりが直線的すぎる気がするので、押し引きや変化球も織り交ぜてもらえると、安心して笑いやすいような気がする。
【総評】アフタートークでの、かもめんたる主宰の人の、出演者への厳しさが伝わって辛かった。芸人であっても、お芝居色が強まるごとに、蜷川幸雄的な怖さが増していく不思議を噛み締めた。せっかく東京オリンピックの演出は、物腰柔らかく素晴らしい演出をするMIKIKO先生も担当するような21世紀なのだから、舞台も優しく創れないものなのだろうか、などと真面目に考えたりした。(モリタユウイチ)

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