渋谷コントセンター

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2023年9月22日(金)~9月23日(土)

テアトロコント vol.64 渋谷コントセンター月例公演(2023.9)

主催公演

公演詳細

夏の終わりに想うこと
9月下旬でもまだまだ暑かった日のテアトロコント。ちょうどキングオブコント準決勝の翌日、翌々日だったこともあり、競技コント(?)に一息ついて秋風が吹くような、何だかひと夏の終わりを感じる2日間でした。
金の国。“褒められるコントは、人間の格好悪さやままならなさを可愛く見せてくれる。そう仮定した時に、桃沢さんは「別に可愛くない」ことに終始するという残酷さを選んだのかなと思いました”。昨年末の公演で、金の国にこんな一文を書かせていただきました。二人は2023年も、その道を虎視眈々と進んでいるのだと感じます。誰だって小さな「やだな」を山程蓄えていて、でもなるべく見ないように、深く考えないようにして生きている。だけど金の国は、それを取っ捕まえて向き合って、コントになるまでとことん煮詰める。それが出来るのって、「しっかりと意地悪な心」と「でもやっぱりいい人な心」の両方があるからだと思うのです。そしてこのバランスが、普通じゃあり得ない整い方をしている。だから私たちは笑ったあと、自分の意地悪なところも少し許してもらえた気持ちになる。この道がこのまま切り拓かれていって、金の国にしか出来ないことだらけの世界がいつか必ず来るのだと思います。
さすらいラビー。さすらいラビーはいつも、さすらいラビーに似合うお笑いをしている。自分たちに似合うお笑いを完全に分かってて、しかも漫才でもコントでもそうで、もう揺るがない一枚絵がある。今回の4本目『僕のお父さん』は特に、二人にとても似合ったコントでした。小柄な宇野さんが息子、長身の中田さんは父を演じ、「僕のお父さんは〇〇〇だ。」「僕の息子は□□□だ。」と語りが連なっていくアメリカンな風合いのコント。このフレーム、容姿的にもセンス的も本当に二人にぴったりで、あらゆる展開を想像したくなりました。得意のシュールや狂気も乗るし、感動も切なさもよく映える。こういうフレームにしっかりとした起承転結が合わさって、心にじっくり刺さるような、さすらいラビーの長い物語も観てみたいです。
やさしいズ。不躾を承知の上で、この頃のやさしいズってすごくのびのびして見えませんか。肩の力がひとつ抜けたやさしいズ。そこから生まれるちょっとの余白が観ている私たちに通気口をくれて、どんなコントにも一気に愛おしさが増して感じられます。やさしいズはキャラのコントも良いけれど、素のままの二人もめちゃめちゃパンチが強い。だから今回の1本目のコント『いじめ』は、二人のアドリブっぽい振る舞いがうれしかったし、やっぱりそういう抜け感がマッチする人たちなのだと思いました。タイさんが描く人間のしょうがなさの根本は、どのコントの中にあってもずっと変わらない気がする。そしてそのしょうがなさは、通気口からの軽い空気と相性が良いはずです。変わらぬ力具合で、一気にドリブンしていくのが楽しみです。
ダウ90000。夏の間短尺に向き合い続けてきた蓮見さんの「そろそろ長めのやらせてよ」がまざまざとしていた30分。中尺のダウ90000を観られたのは久々で、今回改めて、恋愛の捉え方の的確さを感じました。みんなそれだけを主軸に生きてるわけじゃないんだけど、でもちょっと嫌になるくらいには左右されちゃうよねっていう、恋愛を「人にかけがえのないもの、人をちょうどよく左右するもの」として扱うプロ。そしてその機微を絶対にミスしない。誰もがダウ90000の恋愛作品にメロメロになる秘訣は、この揺るぎない柱にあるのだと気付きました。今回の作品、今後どこかで上演する予定はないとのこと。もったいなくて、観られた私までさみしい。そんな訳ないけど蓮見さんってもうこのくらいの1本サクッと作れちゃうのかな?とどうしても錯覚します。怖くてありがたいです。
そして、切実。もし自分が同業を志していたら、観終えたあとまず、わざと人に聞こえるため息をつく。一旦匙を投げ切って、そのあと、これから自分が進むべき道程の途方のなさに気を遠くする。だけど諦めたくないから、最後にしぶしぶ覚悟を決める。そんな、とてつもなく完璧な作品でした。長い間舞台に立ち続けてきた人にしか纏いようのない落ち着きと覚悟と、潔さ。どこか品の良い諦めや悟りがあって、そこにエルトン・ジョンの名曲。30分ずっと、私たちには可笑しくて仕方ないのだけど、でも確かに大笑いというよりは「it’s a little bit funny」な時間。まさにこういうものに出会うために、いつかこういうものを直接このからだで観るために、私はずっと劇場に通っています。帰り道では、“経験もないのに自信もなかったら何もできぬと。では、自信をつけるには何がいるか。経験でござるぞ。”という、『鎌倉殿の13人』の名台詞を想いました。
ちなみにこの台詞、最後は“まだまだこれからじゃ。”と結ばれます。本当に、まだまだこれからだなと、観客である私もあらゆる意味で強く勇気づけられました。作品と、作品以上のものとを持ち帰らせていただきました。(ごとうはな)


言わなくていいこと
 やさしいズ『親友』。ベンチに座る若者(佐伯)。悔しいようなやるせないような、今にも泣き出しそうな表情で誰かを待っている。来たのは自分に内緒で上京を決めた親友(タイ)だった。若者は「どうしてなにも相談してくれないんだよ」と感情の赴くままに詰め寄る。張り詰めた空気が漂い、次の言葉を待っていると親友は「今日、服装間違えただろ」と笑う。このコントが始まった瞬間から違和感を感じ続けていた客席の心の声と共鳴するツッコミ。確かに彼のコーディネートはパジャマのようだったが、ぎりぎりアウトとも言えないコーディネート。チェック柄のシャツにチェックのボトム、それにナイキのTシャツ。親友は「チェックチェックじゃん」と散々いじり倒し、肝心の話をはぐらかそうとする。ただの悪ノリに見えていた2人のやりとりは終盤になって見え方が変化する。上京を決めた親友はいつも通りのやりとりで友人との別れを惜しんでいたのだ。そうしてふざけ合うことが彼なりの別れ方だった。「服飾の学校に行くんだ。お前に似合う服作るよ」という親友の最後の言葉は、数年後の2人の再会シーンまで浮かんでくるようだった。
 ダウ90000『3年経つということ』。大学のとあるゼミの顔合わせ。愉快な関西弁の先生(園田)が場を和まそうと「彼氏いる人?」と皆に問いかける。その瞬間、賑やかだった教室の空気が一変する。「サーッとひいていくのがこわいな」と先生。世代によるノリの違いはどこでも付いてまわるものだ。ここから3年後のゼミ生たちの生活へ場面が切り替わる。このゼミからなんと3組のカップルが誕生しており、それぞれの2人人暮らしのワンシーンを描く。
噂で聞いていたゼミのOBである催眠術師(蓮見)と付き合う女の子(吉原)。なにげない会話からプロポーズされ喜んだのも束の間、「わたしに催眠かけてるんじゃないの?」と疑い出す。また、彼女(中島)の言うことを全て肯定する彼(上原)のカップルは、3年の間で歪な関係性が構築されてしまったようだ。嫌われたくないから、はたまた自分の意見を言うこと自体が得意でないからなのか。争いを避けたいが故に彼が彼女の言うことを全て肯定して言葉を繰り返す。「沖縄行こう」「沖縄行こう」「でも京都もいいな」「京都もいいね」と、まるで手応えのないラリーが続き、耐えかねた彼女の怒りが爆発する。また、もう1組のカップルは、彼(飯塚)が言わなくてもいいネガティブな発見を逐一彼女(忽那)に伝える。「家の前の道、コンクリートの色が違うのってはずかしくない?」という独特の見解は笑っていられたものの、一緒に観るテレビ番組でのレポーターへの文句など、悪気のないディスりを延々と聞かされるストレスが溜まりに溜まり彼女が激怒する。受け手がどう感情を左右されるかについて考えず、言いたいことを垂れ流し続ける彼の姿。もしかすると、この3組のカップルの男性たちは3年の間では大きな心境の変化はなく、彼女たちのほうが初めは許せていた彼らの言動に耐えきれなくなっただけなのかもしれない。学生の頃に付き合い始めたカップルの多くは卒業後に別れるのはよく聞く話だ。もう耐えきれなくなった女性キャストの表情がリアルだった。
 切実『朝の人』。ベンチに座り、有線イヤフォンで音楽を聴く中年男性の早川(岩谷)。その隣にあるトランクと手に持った地図で、旅行中だとわかる。その男性を見つけて思わずのけぞるもうひとりの中年男性(岡部)。近所に住んでいてよく見かける(でも話したことはない)人と偶然旅先でばったり遭遇した。旅行がもたらすテンションの高さから、いつもの生活では話しかけたことのない「よく見かける人」に「東中野にいませんか?」と話しかける。毎朝駅で見かけるので「朝の人」と呼んでいると嬉しそうに伝えるが、早川は自分を認識しておらず、戸惑ったまま「サミットにいましたよね?」などとどんどん目撃情報を本人に伝える。そのテンションの高さに怯える早川。ちなみに妹は「ピアノの人」と呼んでいると言う。音楽を聴く時の指の動きから「ピアノ弾けるんですか?」と聞く。早川が「弾けます」と応えるとすかさず「弾けない人が弾いてるふりをしてるのかと思ってました」と悪気なく伝える。
そのタイミングで現れる妹。「羽田空港で大谷翔平を見かけた以来だ!」と、有名人を見かけたかのように喜ぶ兄弟。
早川は妹のことだけは認識していた。さっきの気持ち悪い兄と同じように妹本人へ目撃情報を伝える。お互いが認識しあっていたという事実から、急に妹を意識し始める早川。「いつも何聴いてるんですか?」という妹の質問からふたりでエルトン・ジョン『Your song』を聴いていいムードに。
だが、妹は別れ際に一番言わなくてよかったことを早川に「ずっとお礼が言いたくて」と口にし始める。「ひとりでお惣菜を買うあなたの姿が寂しそうで、それを見てずるずる付き合っていた彼と結婚を決めました。ありがとうございます」と。この兄弟は序盤からずっと失礼だったのだ。その違和感を初めから感じつつも飲み込み、期待をして大きな裏切りに遭い、ベンチで『Your song』を聴きながら涙をこぼす早川。悪気を持たずに言わなくていいことを相手に伝える大罪をまざまざと見せつけられた。悲哀に暮れる早川を照らすスポットライトが段々とフェードアウトする。どう考えても切ない早川の姿が滑稽に見え、他人のみっともない姿は視点を変えれば可笑しみに変わる様を目撃した。
 やさしいズ『親友』では言わなくてもよかった友人の服のダサさを指摘するひとことが、実は別れを惜しむ優しさから生まれていたものだったり、ダウ90000『3年経つということ』では先生の「彼氏できた?」の一言で生徒との距離が大きく開いたり。切実『朝の人』では余計な一言によって、相手との心理的距離が伸び縮みする様子が描かれていた。言葉とは発する状況によって受け取られ方が大きく変わるもの。自分ではコントロール不可能であることを改めて感じた。(かもめと街)


寅さんの哀愁を受け継ぐ喜劇俳優
旅先で声を掛けられる。そんな経験をしたことがある人はいませんか?同じ旅人ではありません。観光ガイドなど旅先の人でもありません。昔の知り合い、小中高の同級生とかなら、まだ分かります。自分が暮らす町の最寄駅でよく見かける「朝の人」だと言われ、勝手に興奮されたとしたら、どんな気持ちになりますか?自分はその人のことを全く認識していないのに、言ってることに間違いはないので、ただただ困惑するのでは?そんな戸惑いを演じさせたら右に出る者がいない日本一の困惑俳優が岩谷健司さん、その人です。旅先で「朝の人」こと早川に出会い、テンションMAXな杉浦を演じるのは今やドラマに引っ張りだこの岡部たかしさん。二人を中心とした演劇ユニット「切実」。この日は彼らが醸し出す異様な空気が会場を覆い、ボルテージは最高潮に達しました。
単に朝、よく見かけるだけでなく、早川が使用しているイヤホンの形状から行きつけのコンビニまで熟知している杉浦はスターにでも出会ったかのように記念撮影を依頼。言われた方は相当気持ち悪いはずですが、相手に悪気はないようなので、無下にもできません。岩谷さんはその困惑を目線と口元で見事に表現するのです。
杉浦と一緒に旅する妹が少し遅れてやって来ます。富田真喜さんが演じる妹は夜9時にスーパーでよく見かける早川のことを「サミットの人」、また、イヤホンで音楽を聴きながら、よく指を動かしているので「ピアノの人」と呼んでいて、兄同様に興奮します。早川も妹のことは認識しており、先程とは打って変わってテンションを上げ、自分が気味悪がっていた兄の気持ちがようやく分かったと納得します。この心情の変化も岩谷さんはリアルに表現し、安堵の笑いがこぼれます。兄が席を外し、妹と早川が二人っきりになると、互いに意識し合っていたことが分かり、距離が縮まります。早川がイヤホンの片方を渡し、聴いている音楽を聴かせると、流れてきたのはエルトン・ジョンの『Your Song』。いい雰囲気に…。二人を繋ぐのが有線のイヤホンであることが示唆的です。ところが、妹のある告白を皮切りに悲劇的な展開に突入し、早川は悲しみの底に突き落とされます。悪気のない妹の無自覚性が残酷な笑いを生み出します。その悲哀、切なさといったらありません。それを体中から醸し出す空気で表現し、爆笑をかっさらう岩谷さん。そう、彼は日本一の哀愁俳優でもあるのです。その姿は往年の渥美清さんの如く。願わくば、岩谷さんが主役を張る連続ドラマをゴールデンで観てみたい。脚本は勿論、ふじきみつ彦さん。何気ない日常の風景を岡部さんとのやりとりで。(市川幸宏)


エルトン・ジョンのもの悲しさに劇場が包まれた
《1》【金の国】<コント師枠>男性2人組/『ドラッグストア』他、計4作品/★★★★☆/
成人男性「そうだ…俺…ウーバーの配達員だったんだ…それで…」とドラッグストアの自動ドアを跨ぐと、「…そうだ…配達中にうとうとしてトラックにぶつかって…」と自動ドアを跨ぐごとに記憶を思い出す演目『ドラッグストア』。”出入口を通過すると忘れ物に気付く”という習性をアイデアに、ドラッグストアで出会った旧友同士が互いを思い出す。今までありそうでなかった着眼点に感じた。他演目も分かりやすく楽しみやすかった。
《2》【さすらいラビー】<コント師枠>男性2人組/『募金』他、計4作品/★★★☆☆/
女子学生「黄色いバラ募金です!ご協力お願いします!」。街で見かねた同級男生が下心で一万円を募金するが、募金が姉彼氏のスケボー選手の渡航費用に使われると知るや否や突然詐欺と非難し始める演目『募金』。他演目も、少しクセがあり力技なところが個性的で、優れたコントが世に溢れる中、逆に覚えやすい内容だったのではないかと思う。
《3》【切実】<演劇人枠>出演者:男女3名/★★★★★/『朝の人』1作品/
青年「あの、人違いだったら申し訳ないんですけど、東中野、JRのホームの方で通勤してますよね?私、ほぼ毎朝お見掛けしてます。」。旅先のバス待合室で、イヤホンを聴き、膝で指を弾く初老男性に、青年が話しかける。いつも街中でよく見かけていて、通称「朝の人」と呼んでいると嬉しそうに告白するが、初老男性は青年の事は全く記憶にない。が、家族旅行で来ていた青年の妹も登場し、同様に街で見かけ「ピアノの人」と呼んでいる告白をすると、妹のほうはよく覚えていて、すっかり意気投合する。イヤホンを初老男性と青年妹と片方ずつつけ、普段聴くエルトンジョンの「your song」を聴く。すっかり心を許し舞い上がる初老男性だったが、青年妹は世にも残酷な話を伝え始める演目『朝の人』。かつてここまで短く感じた演劇枠30分は無く、上演後の暗闇の中、鳴りやまない拍手が全てを物語っていた。初老男性の、恐らく人生最後と予感した恋愛の火花が大きく吹き上がり、急速にしおれていくもの悲しさと滑稽さが詰まっていた。演目『朝の人』のような大ホームラン作品と出会うために、数多の三振にも耐えながら劇場に通ってしまうのが演劇の一つの特性なのかもしれない。
【総評】土曜日はダウ90000も加わり、さらに濃密な公演だったに違いないが、ダウ90000の面白さと青春の眩しさについては、きっと、ごとうはなさんを筆頭に素敵な評にまとめてくれていると思うので、お任せしたい。今回も沢山の学びを頂いた運営、出演者の皆さまに心から感謝致します。(モリタユウイチ)


お笑いと演劇のレギュレーションの違い
 22日の公演。1組目は金の国。太った丸坊主の渡部おにぎりがボケと思いきや、一見地味な見た目の桃沢健輔がボケのコントもある器用なコンビ。ポーカーフェイスの桃沢が急にブチ切れる方向に転換する『閉店時間』や、宣材写真で笑顔を見せる渡部が急に怖い表情になる『カレー屋』など、演者としての振り幅が広いコンビだと思った。
2組目はさすらいラビー。デカい見た目の中田和伸がちょっとオタク気質のある男、小さい見た目の宇野慎太郎が可愛らしい女の子を演じるコントが主ななか、個人的に好きだったのは『トレインさんぽ』という演目。旅番組という設定で田舎の浜辺に降り立った中田演じるリポーターが、宇野演じる町の中学生に話しかけたらどこかへ逃げられてしまった。そこで中学生が忘れ物をするのだが、それがコンドーム。で、リポーターはカメラに向かってコンドームのことについて延々と一人語りをしてそのまま終わっていく演目であった。コント作品は人間の機微を見せるために展開というものが基本不可欠だと思うのだが、この演目にはほぼ展開が存在しない。中年男性がただただコンドームについての一人語り。それを『テアトロコント』という枠のなかで行うことに意味があると思った。途中戻ってきた中学生が合いの手的にツッコミを入れる描写もあったが、それもいらない。「男がただ喋って終わっていく演目」ということが重要だと思った。
ここまでコント師2組について書いたが、結局はトリの切実にすべてを持って行かれてしまった公演だった。まずは序盤、たっぷりと岩谷健司のおじさんっぷりを延々見る時間がある。笑いは起きない。おじさんがなにか音楽を聴いてノッている時間。そこに岡部たかし演じる男がやって来て、「どうでもいいことだけど、今の時間だけはそれはどうでもよくない。でも時間が過ぎたらやっぱりどうでもいいや」と思う出来事が起こる。たっぷりとどうでもいいことを30分見せられたあと、スタンディングオベーションが起きるんじゃないかというような長い拍手喝采はテアトロコントを見続けてきた身としてもとても貴重な体験だった。
これはテアトロコントの唯一と言っていい弱点だと思うが、「コントと演劇のボーダー」を謳うことは、その違いを歴然と見せられることも内包している。今回の公演では特にそう思ったが、お笑い(コント)と演劇のレギュレーションが違いすぎる。お笑いで売れるためには短いネタのなかに何個も笑いどころを作らねばならない。賞レースでの引っかかり方やテレビで見せるための可愛げ、様々な芸人と仲良くすることでそこでの内輪ノリを見世物として昇華する技。おそらく吉本興業が作ったであろう、売れるためのお笑い教科書を非吉本の芸人も身につける必要ができてしまった。この公演を観たアー(旧・明日のアー)の大北栄人氏はXで「8本連続で良いところはありつつも設定が甘いコントを見たあとで最高の設定で達人たちが演じ始めた切実。素晴らしかった。」とポストしていたが、これは致し方のないことで、今のお笑いの世界ではきめ細やかに時間をかけて設定や人物背景等を見せることが求められていない。キャラクター、可愛げ、テレビサイズの効率の良さ。そういうレギュレーションで動いている世界と、動いていない世界では歴然と差が出てしまう。ここが埋まるためには、お笑いの世界のレギュレーションでまったく動いていないようなコント師が現れるのを待つしかない。(カンノアキオ)

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